井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

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 これは特に強調しておくべきなので、しつこく強調しておかねばなるまい。

 今度の選挙で野党の候補者たちが安保法制など憲法問題にこだわっていることに対し、そうした問題を起こしてばかりいる安倍内閣に反対している人が、しかし、そんなことで有権者は投票してくれないとか、投票してほしければ生活に密着して寄り添う政策を説くべきだという、的外れな意見を述べていた。
 
 なにより今回の選挙は、国民の生活について争点であっても、だから景気対策というようなことではない。国民の生活が安倍内閣の暴政によって脅かされていることが問題になっていて、だから憲法によって立つ平和や人権が重要なのだ、ということだ。
 そして、安保法制について語るのは野党が一致していることを訴えるのに必要だからである。こだわるのは仕方ないし、むしろ当然のことだ。特に立憲民主党にとっては結党の根幹である。

 そのうえで、生活に寄った政策なら、共産党が健康保険の重圧に苦しむ庶民の問題を中心に訴えていて、これはほんとうに切実だが、しかし議会で提携している社民党と自由党は全体的に社会政策が新自由主義的で、社会保障の分野で公的責任を重視する共産党とは相容れない。
 だから憲法問題しか一致しないのだ。

 また、生活に寄った政策ということで投票されているのは公明党である。下層の庶民は、法治国家・立憲主義・基本的人権なんてサッパリ解らないうえ、とにかく微々たるものでもオコボレでも何でもいいから、政策ではなく直接施しをしてもらいたいのだ。
 こういう現実に即した主張をしなければ選挙運動を誤るが、今のところ野党は誤っていないから、これでいいのだ。




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by ruhiginoue | 2017-10-11 18:04 | 政治 | Comments(3)

日本人のタカリ根性

 チェコ人は、カフカについて、プラハに居たがドイツ語で書いていたからドイツ文学と言うし、フィンランド人は、ムーミンの作者について、スウェーデン語を使っていたから違うと言う。なのに日本人はカズオ イシグロが英国籍で英語で書いてるのにノーベル賞ではしゃぐ。

 これについて、恥ずかしいと言う日本人もいるが、もともと金メダルやノーベル賞に便乗するのは日本人のタカリ根性だ。なにかあると寄ってタカって、便乗するだけならまだしもオコボレを頂戴しようとする。

 この日本人のタカリ根性は昔から指摘されているが、これが選挙にも影響し、選挙事務所ができると、運動を手伝う人たちのために賄う飲食物を目当てに寄ってくる人がいる。特に田舎がひどいもので、各候補の事務所を掛け持ちして回り、どっちが気前いいかと比較している。
 これが「先進国」だと、選挙事務所ができたら、興味を持った人は訪ねていき、居合わせた運動員から政策を聴くものだ。また、その政策に共感できたら、寸志という感じで幾らかの寄付を置いて帰る。

 私事だが、防衛医大訴訟の時も、実は、友達とかではない一部の野次馬的な者が、国を訴えても勝てないとか、そんなことをするものではないとか言い、「無駄」「非国民」などと、実にひどいものだったが、そんな奴らに限って、勝訴してマスコミに取り上げられると「テレビのインタビューみたよ」「陰ながら応援していた」などと言ってきて、中には「賠償金が入ったんだってな。今晩空いてるからな」と言った奴までいた。

 そういうクズは論外として、あの当時、なぜまとまった金額の振り込みがあったのかの事情を知らない銀行員が、投資しないかと「営業」に来ていて、正直言うと、それにのって増やしていたのだった。
 また、インタビューに対し稿料扱いで報酬を支払うとの申し出があり、ありがたく受け取った。そしてテレビの製作会社から振り込みがあったので、そこの銀行の人は、そっち方面の仕事をしていると思っていたそうだ。
 そういうのも、みんな投資に回していた。

 こうした背景に、知り合いの冤罪被害者のことがあったからだ。その人は無実の罪で刑務所に入ったが真犯人の逮捕で潔白が完全に証明され、何年も刑務所に入っていた賠償金が国から出た。
 そして、マスコミから取材を受けて報酬を払うと言われても、報道なのだからと辞退していた。このように、とても堅い人だった。

 ところが、すでに補償があったのに、警察の捜査の不正を問題にして国家賠償請求を新たに起こそうという話があり、これに彼はのったのだが、この大変さのため心身共に疲労困憊して体の具合が悪くなってしまい、仕事ができなくなった。
 そのうえ、補償で受け取った金があるから休養できるかと思っていたら、その金はすべて裁判のために使い果たしてしまったそうで、体調も悪いし貯蓄もないから生活保護を受けていると言うので驚いた。

 ということは、そこまで追い込まれる裁判をけしかけた人たちは、支援していると言っていたけど、金銭面では何も支援してなかった、あるいは、ろくに支援していなかった、ということになる。
 これで思い出したが、けしかけた人たちには左翼崩れの学生運動世代の老人が目立ち、あの人たちを実際に見てよく知っている。あれは支援すると言いながら自分たちの自己満足で反権力を叫ぶ材料に利用しているだけだ。
 そして、ダシにしているから、親身になることはなく、「人権」を標榜していても人権意識など欠片も無い。だから被害に対してもザマアミロと言わんばかり。それどころか、実際にそう口にして嘲り笑っているクズ連中である。

 あのとき連中は原告と一緒に写真を撮って運動のホームページに掲載していたが、「支援」していると見せるためのアリバイ工作でしかなかった。こんなことなら、小池百合子みたいに一人三万円とか言えばよかっただろう。裁判支援カンパとして協力してくれと言っても、あいつらでは払わないに決まっているが。

 つまり、田舎で強い自民党には日本人のタカリ根性が影響しているだけでなく、それを批判している連中にだって同じことが言えるのだ。むしろ、反権力を標榜しながら権力犯罪の犠牲者を食い物にして笑っている分、たちが悪いと言える。
 こういうのを直接見ているので、それを考慮した対応をせざるを得ないのだ。



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by ruhiginoue | 2017-10-10 19:51 | 社会 | Comments(9)
 もともと憲法とは普遍的な理念を謳うものであり、その時々に合わせて憲法の理念を具体化する行政法がある。これは法の常識だ。そして、外国で憲法を修正しているのは行政法にあたる部分である。基本理念を否定するのでは、改憲ではなく革命か政変になる。
 それを池上彰なんかが、外国では時代に合わせて何度も憲法改正をしているのに日本はそのままとデタラメを言い、テレビが垂れ流している。池上彰は原発事故のさいも、プルトニウムは重くて拡散しないので汚染の心配無用とデタラメ発言しながら、朝日新聞に対して誤報を産経新聞に指摘されたのだから読者に謝罪しろとデタラメを書き、その掲載に難色を示されると騒ぎ立てて話題作りに利用したうえ、便乗して騒ぐ週刊文春に説教を垂れてみせた。

 こんな池上彰を連載コラムに起用つづけた朝日新聞は、さらに低劣な三浦瑠麗を登場させて、また読者からヒンシュクを買っている。三浦の毎度おなじみクルクルパー発言は、先日掲載してしまった東京新聞が批判を浴びて慌てて同感しているのではないと釈明したばかりだ。なのに、朝日新聞は前回の大ヒンシュクによりもう載せるなと言われていながらまた載せた。
 これはよほどの圧力があったということだろうか。

 さらに「パーパールリ」こと三浦瑠麗は、ネット党首討論について「外交をテーマにする限りは実績が圧倒的な安倍さんが優勢」と言ってのけた。
 これについては、みんな既に呆れて言っている。三浦瑠麗が絶賛する安倍外交の「実績」はバラマキだ。国費の大損で、その見返りは、もらった国から安倍総理へリップサービスだけ。とくにロシアには手玉に取られて金だけ渡し領土を取られた。
 それでも、国内マスコミ向けバラマキで「ゴチソーサマ」の人たちは、お返しにオベンチャラを言うわけだ。「首相動向」に三浦瑠麗らと会食って書いてあった。批評するなら、馴れ合いや利益供与とみなされる行為をするものではない。そんな常識も持ち合わせていないとは非常識である。

 なんで三浦瑠麗という人は、現実を無視してまで、悪いことはなんでも左派のせいだと言うのか、という疑問が呈されているが、それが商売だから、に尽きる。風俗嬢に対して、お金をもらって性的なサービスを提供するのはなぜかと質問してもしょうがない。これと同じことだ。
 しかし、例えば伊達政宗は、あと30年早く、豊臣秀吉と徳川家康くらいに生まれていればと悔しがったそうだけど、三浦瑠麗も30年くらい生まれるのが遅かったのだ。いくら、地味な研究者ではいたくないからとしても、いまどき曽野綾子や櫻井よし子のようなマスコミ人の猿真似をしても時代遅れである。
 ただ、昔から御用学者というのはいて、マスメディアのお座敷に上がっていた。それが三浦のように露骨な態度となったのは、マスコミとくに朝日新聞の衰退が原因だ。

 今は昔だが、82年に当時の中曽根総理は、自分に不都合な報道や論説に不満をぶちまけて、「新聞が偏向していると学者が言ってきたので同感だ」と発言したが、これに対して朝日新聞の筑紫哲也が署名論説で「政治家が政策の正当性を自信を持って主張できないと学者を動員する」と喝破した。これを朝日新聞は一面に掲載した。
 そんな気骨のある記者がいなくなって、仮にいたとしても毅然とした論説は掲載されなくなり、そこへ三浦が土足で座敷に上がりこむようにしたということだ。
 これだから、朝日新聞は読者から見放され、どんどん売れなくなっているのだ。紙媒体の衰退とかいう以前の問題だ。



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by ruhiginoue | 2017-10-09 21:00 | 社会 | Comments(3)

YOUTUBEよりCDは音が良いか

 避暑のため北海道のキャンプ場でテント生活していたというだけでなく、最近は意欲も時間もなかったので、自宅のちょっとしたオーディオ機器でCDを聴くこともなくなっていて、それが久ぶりに暇もできたからとかけてみたところ、このところ時々聴いていたYOUTUBEにある音楽とは音質が大違いだと感じた。

 そんなに違わないと思っていたが、やはり臨場感が異なる。これまで、同じオーディオ機器を使ってYOUTUBEの音楽を聴いてはいた。それなりの音質だった。
 それで、もうCDを買うことないかと思っていたが、これは、やはりまだ買う人がいると思いなおした。

 よく、オーディオマニアの人が、その仕組みを説明しながら、YOUTUBEは画質のように目立たないだけで実は音質も悪いと指摘し、これでよいと言っている人たちはパソコンのスピーカーで聴いているから違いが判らないのだと言っていて、これに反発する人もいた。
 その違いをとやかく言う人は、よほどのオーディオ機器を持っているのかと思っていたが、うちにあるそこそこの機器でも、違いがすぐに判る。

 かつては、iPodなどが浸透してこれまでのオーディオ機器は駆逐されるかのように言われていたが、そうとばかりも言えないという指摘があり、また、没落したかのように言われていた、アイワ、ナガオカ、ケンウッド、など、かつての有名なオーディオメーカーが復活しているという話にも、うなづけるというものだ。

 ちなみに、うちにあるフルサイズのCDプレイヤーはケンウッドである。


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by ruhiginoue | 2017-10-08 18:58 | 音楽 | Comments(6)
 選挙と同時に最高裁判事の国民審査がある。ここで、政権への異議申し立ての意味で全員を不信任しようと言う人たちがいる。時代遅れも甚だしい。

 この審査でただ全員にバツを付けるのは、審査の方法に対して問題提起する意味であった。最高裁判事を信任するか否かを国民が直接審査する「民主的」制度を標榜しているが、何によって判断するのかはっきりしない。これではやる意味がない。
 そのうえ、辞めさせたい判事の名前にバツを付けるだけで、解らなくてバツを付けなかったら信任したことになってしまう。このやり方が問題になったので、判断できないので留保したければ投票用紙を投票箱に入れず返すことになった。

 こうした経緯から、いつも最高裁判事たちは何の緊張感もなく信任されているので、それに一石を投じるような意味で、あえて全員にバツを付けて抗議の意識を示そうということだった。

 しかし、すでにこのblogで具体例をあげながら説明したとおり、最高裁判事の中にも良識派がいて、政権の横暴と闘っている人がいる。それに対して他と一緒にバツを付けるべきではない。
 また、裁判所は全国各地にあるが最高裁は一つしかないので、全国の裁判所から上告が一点集中し、それら膨大な案件のすべてを最高裁判事が判断することは不可能であり、このため最高裁判事に上げるか否かをふるいにかけている。
 その下調べに、最高裁判所には最高裁判事ではない裁判官が大勢いて、まず形式的に上告に当たらないものを撥ねるのだが、ここで恣意的だったり悪意だったり工作があったりして、それでも最高裁判事の名義で決定されたことになってしまう。
 このため、この最高裁判事だったら話を聞いてくれそうなのに無下にされていることがあり、これに怒って「バツをつけよう」と息巻いてしまっている人もいる。

 こういうことが今では問題になっているのだから、とにかく全員にバツをつけて抗議の意思を示そうというのは時代遅れということである。
 それに、そもそも最高裁判事で悪いことをする人は、その見返りにサッサと「天下り」をしているものだ。なのに、辞めさせるべき裁判官がとっくに逃げているところで、さあ辞めさせたいか審査しましょう、というのだから制度は破綻している。

 しかも、最高裁判事の国民審査で全員不信任なら判事選定の仕方がそもそも悪いことになるはずだが、しかし審査はあくまで個々の判事に対するものであるから、選定に対する抗議のつもりで全員を不信任にしたところで抗議にはならない。

 したがって、棄権をするべきである。選挙は投票して審査だけ棄権すると投票所で言い、用紙の返却を。





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by ruhiginoue | 2017-10-07 16:16 | 政治 | Comments(5)
 先日、『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』が出版されたという話題の中で、高校の同級生についても触れた。
 その同級生の父親は、最初に出た『日本一醜い親への手紙』が話題になった当時「こんなことを言う奴は親を誤解してるんだ。ぶん殴ったって親は子供のためを思ってのことだ」と言った。
 このお父さんは、たしかに息子を思って殴っていたが、それは息子が「Fラン大」かそれに近いランクの大学に入ったうえ、真面目に勉強をせず、車を乗り回したり酒を飲んだりと、すべて親の金でやっていたから、ついに我慢できなくなってのことだった。
 こういう家庭では、親でも子でも、苦悩する者のことなど理解できないのだろう、という話だった。
 これに補足して、以下のような事実を紹介する。

 あるwebsiteのコラムが、自民党の片山さつき議員は、大手予備校の模擬試験で一番を取り続けたうえで東京大学に入ったと誇っていたけれど、そんなことをまだ自慢している感覚に奇異なものを感じたと述べていた。
 けれど、こんなことをする人は他にもいて、そんな人は、社会人になってからは誇るものがないのだろうかと、よく言われるものだ。そして実際に、学歴は立派だが仕事の実績は伴わない人がいて、そんな人の中に学歴を意味もなく誇る人は目立つ。

 ところが、そんなくだらない自慢ができないからと、家庭の事情で進学できない人を見下す人かいたら、どうか。片山さつき議員も褒められたものではないが、それ以下だろう。
 それをしていたのが、先述の同級生であった。最低レベルの大学に入ったものだから、入試レベルのことで自慢したり見下したりということは不可能であり、そこで、親がいないなどの事情から働きながら夜の大学に通ったり、健康上の問題で通信制の大学で学んだり、という同級生を「やーい、夜間」「二部~w」などと侮辱していた。親の金で遊んでばかりいながら、苦学している者に対して、である。
 ほかにも、クレジットカード使いながら自慢し、学生なんだから親が保証人となって持つことができているのに、あたかも自ら審査を通ったかのような態度で、持っていない同級生たちを見下すなどなど、それはそれはひどいものだった。

 これでは父親が怒ってぶん殴ってしまっても当然だ、と思ったら大間違い。そのお父さんが殴ってしまったのは、あくまで酒のだらしない飲み方などの素行に対して怒ったからであって、社会の弱者を見下して自慰したことに対してではない。それどころか、一緒になって同じことをしたのだった。
 それが、『日本一醜い親への手紙』にあるような子供を虐待する親の問題について、子供が親を誤解していると決めつけたことだった。実際に働きながら学んで、おたくの息子とは大違いの真面目な子もいるとたしなめられても頑として認めない。
 「そりゃ、ぜんぶ親のことを誤解してる奴らだ」と繰り返して「俺なんかなあ、一時はオヤジと口もきかなかったんだぞ。進学しないで家業を継げと言われたからだ。でもなあ、この家業を継いだおかげで今は安泰なんだ。だからオヤジに感謝してるんだ。進学するなと言ってる親はみんな同じ思いなんだ」
 こう、勝手に決めつけて、手前が親から財産を受け継いでいる結構なご身分であるという自覚がなく、手前の勉強しないバカ息子を金次第の低劣な私学に行かせている自覚もない。むしろ、息子を私大でも特に学費が高いところに入れてやって金を出しているとして満足げだ。

 つまり、息子のような自覚した悪意がないだけで、あとは「この親にしてこの子あり」なのだ。おそらく、親の七光りの政治家たちも、これと同じではないかと思う。そう思わせる材料がいっぱい見受けられる。



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by ruhiginoue | 2017-10-06 12:30 | 社会 | Comments(4)
 童謡「どんぐりころころ」の替え歌「前原ころころ」が唄われているそうだ。「♪小池にハマってさあ大変」と。

 しかし小池百合子率いる「希望の党」は失速している。
 これは小池百合子が図に乗って調子づいて早く口を滑らせたから陰謀がバレて躓いてしまったからだが、ほんとうは安倍を見限って次の傀儡独裁政権を樹立させようとする工作であり、あのスノーデン氏にもぜひ意見を訊いてみたい背後関係があるのではないか。

 どうであれ、「希望の党」については、先日、歌手の松山千春が「小池百合子の野望の党」だと言ってこき下ろしたが、週刊新潮は政局の記事の見出しに「小池百合子の希望・横暴・票泥棒」と見出しにしており、その騙しの手口がいかに悪辣であるかという批判が巻き起こっている。
 それで、党のシンボルカラーが緑なのでカップめんになぞらえ「緑のタヌキ」と皮肉られているわけだ。

 ところで、「同じ穴のムジナ」という悪い喩え方がある。ムジナと呼ばれるアナグマとタヌキは外見が似ていて、同じ巣穴を共同使用し、どちらもキツネのように化けて人を騙すといわれているので、違うようでいて同類であるということだ。
 そういうことでは、前原と小池はまさに「同じ穴のムジナ」である。

 そして、希望の党の公式ホームページとTwitterアカウントが出来て公開されたばかりだが、それで見たら小池百合子が緑色の服を着ていて、なぜか後ろ姿の背景画像である。その動画もある。歩いている後ろ姿を捉えた映像だ。
 これが不気味という反応がある。なんで後ろ姿なのか。
 もしかすると、緑のタヌキともいわれる代表者が振り返って
 「こんな顔かい」
と言うと、ノッペラボウなのではないか。小泉八雲ことラフカディオハーンの『怪談』の「ムジナ」みたいに。
 だから怖くて動画が見られないという人もいる。

 そして、『怪談』では、突然明かりが消えて真っ暗闇になるのだが、希望の党のために日本は失望どころか絶望となるだろう。
 
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by ruhiginoue | 2017-10-05 15:44 | 政治 | Comments(4)
 小池百合子を「ババア」「婆」と言う人たちがいて、それを差別だと批判する人たちもいるが、その言葉と内容は不明確だったり不適切だったりしているので、それについて指摘しよう。

 まず、小池百合子都知事を「ババア」と言っている人たちは、だいたい反感を持っている人である。好意があったらババアとは言わないのが普通だ。
 ただ、『男はつらいよ』の寅さんは、よくケンカする実の母のことは「ババア」と言うが、他の人には言わないし、毒蝮三太夫はロケで年配の女性に「ババア」とか「きたねえババア」と言うが、天真爛漫な笑みを浮かべて無邪気な口調で言うから、毒舌を売りにした冗談であり、それが芸風であるから、視聴者からヒンシュクを買うことがなく、言われた当人も笑っている。また、彼は腕に自信を持っている寿司職人に「あんたの握った寿司ってホントに美味いの?」なんて平気で言ったりする。つまり、侮辱するのではなく挑発しているのだから、相手が否定することを前提に含めている。
 こういうことは例外で、だいたいは、ほんとに反感を持つ相手に否定的な意味で「ババア」と言うものだ。

 では、なぜ否定的意味で「ババア」と言うのか。これ以外の言葉でも、まず事実か否かの問題があり、事実でなければ、それを言うことが問題になる場合もあるが、事実であるなら、意味が無いのにことさら言うのが良くない場合と、言ってもいいが表現に侮辱的または差別的な意味がこもっているので良くない場合とがある。
 そして「ババア」とは高齢の女性を指す言葉だが、小池百合子都知事に関して言うと、まず女性であることは事実(もしも事実で無かったら大変な騒ぎになるだろうが、それはまた別問題である)であり、年齢的に(どの程度かはともかく)高齢に分類されることも事実だろう。
 そうなると、小池百合子都知事を指して「ババア」と言うことが問題になるのは、それを言う意味がどうあるのかということだ。高齢なのに地位に就いていることが問題なら普通は「老害」と言うものだ。なのに女性を対象にした言葉の「ババア」を使用するなら、男性の「ジジイ」「爺」はどうなのか。

 この件では過去に石原慎太郎都知事が「ババア」の言葉を使用して、歳をとっても男性は子供を作れるが女性は作れないので生きている意味がないうえ社会に迷惑であるという趣旨の発言をして批判され訴訟にもなった。特定の人に対する侮辱ではないので民事裁判の対象ではないから慰謝料などは認めないが、多くの女性を不愉快にさせる発言だった、という判決であった。

 このように性差別である場合もあるが、今の小池百合子都知事が「ババア」と言われている件では、性差別として言われていることかどうかは不明確である。あと、都知事選挙に立候補したことがある東郷健発行人(ゲイ雑誌の)は、年配になってから自分のことを「ババア」と言っていたが、これは自己主張であろう。

 とにかく、寅さんや毒蝮三太夫のことも併せてみると、「ばあさん」「じいさん」ではなく「ババア「ジジイ」は言葉自体に悪い印象もあるが、実際に悪い意味になるかどうかが状況や文脈などによる言い方に影響される。

 その点は、前に江川紹子という神奈川新聞の元記者が、「オバサン」「ババア」と言われたことが、わかりやすいだろう。
 かつて(95年)テレビに出ていたとき唐突に号泣したことについてハッタリとかパフォーマンスとかの類ではないかと疑われたさい、当時の女子高生たちから「嘘泣きオバサン」と揶揄されたが、これは「女の子なら泣けばなんとかなる」というのは高校生くらいでもすでに潔くない態度なのに、それをいい年した大人がやっているという意味であった。
 その後も、さらに年齢を重ねてからTwitterでよく語尾を「~だにゃ」と書き、猫のアイコンを付けているから冗談のつもりなのだろうが、更にいい歳になったのに子供っぽいことをしていて、しかも気楽な話題でやっているだけなら「お寒い」で済むが、人権侵害になる発言でもやっていた不謹慎なので、このおふざけの内容が女性っぽくて年齢不相応だから「だにゃババア」と批判の意味で言われたのだった。

 そうなると、小池百合子都知事の場合、稲田朋美もと防衛相と同様に、少女漫画か美少女アニメのような仮装をしてみせることがあったから、いい歳してなにやっいるのかということで「コスプレババア」と言うのは、意味が通る。もう二十代になっても、まだ三十代になっても、稀には四十代になっても「ロリータファッション」をしている人だっているから、五十でも六十でもやって何が悪いという反論もあろう。ただ「歳をとったら引退と決まっている分野ではない」という反論はあっても、反感を表明することが年齢差別や性差別ということではない。あくまで言葉遣いが乱暴とか下品ということだ。

 ところが、小池百合子都知事について、その歳甲斐もないふるまいとは関係ないことで「ババア」ということが問題なのだから、他のことに対して表明した反感を別の問題にも持ち込んで不適切ということだ。それが結論である。



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by ruhiginoue | 2017-10-04 15:49 | 政治 | Comments(6)
 「私が受けた行為は28年間生きてきたなかで最も醜い人権侵害」
 そう言って、あの詩織さんは損害賠償を請求して提訴したとの報道である。
 そして「最も」ではなく2番目になる。訴訟すれば「セカンドレイプ」が待っているからだ。これは国賠裁判や医療裁判も同じだが。

 先ごろ、アメリカでOJシンプソンが仮釈放された。失った自分のスポーツ記念品を取り返そうとしたが、このさい拳銃を持っていた(当人は否定)ので強盗とされ裁判で有罪となり服役していた。彼はアメリカンフットボールの殿堂入りするスター選手で、その後は俳優など芸能人として大活躍し、日本で公開された映画やテレビの作品も多い。
 そんなスターが「転落」したのは、元妻とその友人を殺害した疑いをかけられたことがきっかけであった。刑事裁判ではお粗末な捜査などが問題となり無罪となったが、被害者の遺族から民事訴訟を起こされると敗訴して多額の賠償金を支払わされる。このあいだ芸能人としての活躍ができなくなり収入が途絶えたうえ裁判で多額の出費を強いられてしまったのだった。
 このように、刑事裁判で納得できないなら民事裁判に訴えることで一定の成果が得られることもある。

 しかし、日本ではどうだろうか。そこそこの名誉回復がされた事件もあったが、逆に追及を諦めないことに対する報復的な対応をされることもある。
 特に詩織さんの場合は政治的な圧力により刑事裁判がつぶされたのだから、まだ民事裁判があると一縷の希望に賭けるしかないとはいえ、やるからには相当のリスクがある。
 まず、請求を棄却されたうえ証拠を無視してて荒唐無稽な認定をされる恐れが大きい。「枕営業」するため自ら誘ったことにされてしまったり、反訴されて逆に莫大な賠償金を払わされたりの恐れもある。最悪、口実をもうけて逮捕されたうえ国際的に悪名高い日本独特の密室取り調べで拷問や暴行を受けることもありうる。なぜなら、そうしたことは現実にたくさんあるからだ。
 そういう不正が存在しない国なら、最初から民事裁判などしなくても逮捕状が握り潰されることなく刑事裁判になっている。

 もちろん、そのような現実を承知のうえで後戻りできない覚悟をして「ルビコン川」を渡ったのだろう。
 だから裁判に付随する問題について、詩織さん側は適切に対応するはずだ。
 例えば、マスコミはまだ相手にしてもいいが運動団体は構ってはならないということ。日本の運動団体は人権擁護に関心がない左翼崩れ老人の自己満足の場。人権侵害を受けた一般市民は支援ではなくネタとかダシにされるだけで、なかでも特に女性、まして性犯罪の被害者は酷い侮辱と嘲笑をされるのが実態だ。
 しかし、これらは言われなくてもわかっていることであろう。



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by ruhiginoue | 2017-10-03 15:12 | 司法 | Comments(0)
 「リベラル」という言葉がトレンドのようになっているが、ここで日本社会の底の浅さが露呈している。リベラルとは左翼的のことだと言っている人がいたり、リベラルとはいい難いものごとについて言っていたりするからだ。

 もともと「リベラル」は「自由」のことだが、自由には個人の自由とか責任を伴った自由とか色々な意味合いがある。そして、枠にはめられていない自由という意味で言われることが多いフリーダムと、既成の枠から解放されるという意味で言われるリバティとの微妙な違いについて、そもそも日本人にはそうした自由についての発想が伝統的に存在しないから、使い分けができないという指摘もある。
 そういう背景があるため、リベラルとは社会の枠組みに従わないものだから左翼だという短絡的な発想も湧いて出るのだろう。

 また、リベラルと言うと理屈っぽいと受け止める人が日本には多い。理路整然と話すだけでリベラルと思われる。もと官房長官の枝野氏はその典型だろう。あの人は非常に保守的で、社民党の議員に言わせると右派だが、日本の保守派にありがちなナアナアで済ませ理屈は要らないと言う田舎臭い発言をしない。それでリベラルだと思われるのだ。

 あと、林家彦六も、よく共産党に判官びいきしてると公言していたが、それはイデオロギーに共感してるからではなく共産党が書生っぽいから好感をもっていると言っていた。彼は若いころから学があって理屈っぽいため、落語家たちの間で「インテリ」と言われていたが、これは褒めていたのではなく皮肉だった。
 それで、理屈は要らないというのを笑いに転化できのだろう。「なぜ餅にカビが生えるのでしょうか」「早く食わねえからだ」と。

 こうした日本では、その内容とは無関係に、学があることは理屈っぽいことにされ、田舎ではアカ呼ばわりされる。だから、昔から日本は田舎政治で、自民党はその象徴と言われたものだ。

 しかし、どんな分野でも、外国語に適切な訳語をあてることで発展してきたもので、「リベラル」の場合も、かつてその努力はされていた。「自由」を、金儲けの自由という意味で捉えると経済活動の規制をしない政策になるが、そういうのとは違う既成の枠や概念から解放されるものという意味での「自由」を「リベラル」とするなら「進歩的」と訳していたものだ。

 だから今の「リベラル」は、小沢一郎の自由党ではなく、かつて80年代、新自由クラブ解党後に自民党へ戻ることを潔しなかった田川誠一代表が作った都市型の保守政党「進歩党」が該当する。
 その進歩党は、自民党と変わらない政策を掲げながら随所に違いを見せて、経済を重視しながら汚職を無くすとか、アメリカとは友好的にするが言いなりになって軍拡しない努力も可能な限りするとか、なにより日本の政党としては初めて脱原発と再生可能エネルギーへの転換を公約にしていた。
 その点で田川氏は早すぎた。今だって理解していない日本人が多いのだから。
 しかし、あれから時代の方が追いつこうともしているので、もしかしたら枝野氏あたりが一定の成果を挙げるかもしれない。

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by ruhiginoue | 2017-10-02 16:49 | 政治 | Comments(4)