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by ruhiginoue

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非現実的な不登校の推奨

 『不登校新聞』というのがあるそうで、ここで東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授がインタビューを受けている。ここで安冨教授は、五年前から女性向けの服を着るようになったおかげで自分自身になれたと述べている。
 このようなことをするのは昔から知識階級の人と言われていて、あくまで目立つのであって多数派ということではなく、立場的に「カミングアウト」しやすいためだと指摘されている。
 この問題とも絡むが、この記事の見出しは「東大生より不登校のほうが人生を始めやすい理由 東大教授・安冨歩」だけど、この「東大」と「不登校」の二択が非現実的である。

 ここで同教授は不登校の有益性を説いているが、そもそも、東大に行けるくらいの恵まれた家庭でないと不登校は不可能である。自宅での学習や親の意識の高さや世間の目という問題があるからだ。
 これは、男性なのに女性の服装をして本当の自分はこうだと言うことについて、それをできる立場であるか否か、というのと共通する問題である。

 これについて、当人からツイッターを通じて意味が解らないという反応があった。しかし同じ文を読んで意味がわかった人はいて、賛同する人もいた。
 このことから思うに、東大教授の地位に就けるくらいの恵まれた家庭に育った人には、学校の現状を批判して不登校も有益だと言うことまでは可能だが、しかし有害無益とわかっていても仕方なく学校に行くことで将来に絶望しながら生き地獄を味わっている人のことまでは理解できないのではないだろうか。

 その少し前のこと、福島県須賀川市で昨年1月に中学1年の男子生徒(当時13)が自殺した事件について、学校で様々ないじめを受けて追い詰められた末に命を絶った状況が同市の資料によって判明したと報じられたが、このような事件があると昔からこう言う人が必ずいる。
 「なんで、いじめられて自殺なんかするのか。自殺するくらいなら死ぬ気になってかかっていけばいいじゃないか」
 それをやったら親に迷惑がかかるので、自分が死ねばいいんだと思って自殺するのだから、もともと無理な話だ。

 これと同じことである。不登校したほうがいいとわかっていないのではなく、わかっていてもできないのだ。
 そして、それは自らの責任ではない。生い立ちのためだ。
 だから絶望感に苛まされて我慢を強いられるのだ。その中から自殺する者も出る。




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by ruhiginoue | 2018-01-31 17:06 | 学術 | Trackback | Comments(1)
 死去した野中広務について、死んだからと美化されすぎだという指摘がある。
 晩年の彼は、自らの体験から戦争と差別を忌み嫌う言動をしていたけれど、そればかりに注目して、彼が政治家として何をしてきたかを無視しているというわけだ。
 たしかに野中広務という政治家は、差別される地域の出身であったため、差別のない社会にすることが政治家としての第一の目標であると言っていたし、世代的に戦争に駆り出されそうなギリギリであったから戦争が少し長引いていたら死んでいたと言い、戦争を批判して平和憲法を変えてはならないと説いていた。

 しかし、政治家を引退する前の彼は自民党の中枢で国家主義的な政策を推進してきた。
 実際に彼が「影の総理」とまでいわれるほど自民党内で実力者だった絶頂期に、国旗国歌法、盗聴法、周辺事態法が成立しているし、自民党と公明党が連立を組んださいも彼は主導的立場であった。
 このあたりは政治に詳しい人たちがすでに色々と指摘しているので、これ以上の説明はするまでもないだろう。

 ただ美輪明宏にみられるとおり、反戦や反差別への想いが自らの体験に基づいているものだから本物だとしても、根性がファシストである人は珍しくない。
 長崎で被爆し、同性愛者で、それゆえ戦争を批判し差別を憎む言動は本心であること疑いようもないが、オカルト主義者の自称霊能者で、226事件の将校の霊が背後にいると言って三島由紀夫に狂気の行動を焚き付けたり、問答無用の強権だけが社会の秩序を保てるのだからお上に逆らう者は子供でも情け容赦なく皆殺しにしてやるべきだと言ったり。
 これは、どんなに体験による影響があっても生まれつきの性格は変わらず、それによって矛盾が生じても気づかない、ということだろう。

 あと、野中広務という人については、性格的なことに加えて社会の中にみられる構造的な問題でもあり、これを劇画『カムイ伝』の横目みたいだという指摘もある。出自が虐げられている側であっても否むしろそうであるから権力側に付く人がいるもので、昔からそんな人によって支配が補完されている、ということだ。
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 そして横目は「よくも私の支配を破ったな」と斬りかかるがカムイの霞切りに返り討ちとなり瀕死の重傷を負う。
 しかし野中広務は加藤らの反乱を切り崩しで失敗させたのだ。




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by ruhiginoue | 2018-01-30 12:49 | 政治 | Trackback | Comments(2)
 先日、ツイッターで話題になっていたのだが、このツイートを書いた人のようにある認識が欠落している人が少なくないのだろう。
 この人は、
 「科学は人を幸福にしたか?」
 という問いに対して、
 「科学がなかったら、生きてさえいない人が大半」
 という答えであった。そして、これで充分だと思うと云う。
 そして解説する。
 「1800年の人類の総人口は10億人しかいない。乳幼児のうちに死んでいるか、そもそも生まれていないか」
 続けて
 「不幸も幸福も、生まれてくるというスタートラインあってのこと」
 これでは、生まれてからどうなるかの問題なのに、まるで答えになっていない。
 だから、この誤りを指摘する人たちがいた。

 そもそも科学がなければ生きられなかった人間もいれば、科学が発達したせいで死んだ人も大勢いる。どちらでもなく、特に科学からの恩恵を受けていない人もいる。
 また、このような問題について全体として統計的に語ることで結論とすることはできない。

 もう昔のことだが、手塚治虫の『ブラックジャック』でも既にこの問題は語られていた。医学によって人口が増えると食糧が足りなくなり餓死者がでる。医学の存在意義はどうなのかと主人公が自問自答している。
 こういう話をしないのでは答えにならない。

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 ただ、人口が増えたから良いという半端な考えで結論してしまう人が珍しくないのは、そもそも利益があるのか、あるとしても収支決算とかバランスシートとかの視点から赤字になっていないか、という肝心な視点を欠落させた人が人が少なくないからだろう。
 だから例えば、予防注射の効果に疑問が指摘されたり深刻な副作用が問題になったりすると、それを否定しようとする人が「反ワクチン」とレッテル貼り攻撃するのだ。これはとんでもない話で、疑問や問題の対象となっているのは特定の薬のことであり、その病気に関する予防薬すべてのことではなく、ましてや予防薬全体のことではない。

 このような誤りは、「反ワクチン」が何たるかを知っていれば起きないはずだ。知っていたら、どんなに悪意があってもなかなか言えまい。
 つまり、生き延びれる者と死ぬ者とは自然に任せないといずれ種が弱くなって滅びる危険があるとか、人口が増えすぎると資源の枯渇や食糧不足や環境破壊さらに戦争になったりするとか、そうした理由から医学それ自体の存在を全否定する立場があり、それを知っていれば特定の医療や医薬品の問題とは区別できるはずである。

 なので、この意味でも反医学の認識を社会にもっと浸透させるべきである。



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by ruhiginoue | 2018-01-29 18:11 | 学術 | Trackback | Comments(1)
 音楽家の小室哲哉が週刊文春に不倫疑惑を報じられて引退を表明したところ、逆に報じた週刊誌の方が世間から叩かれる結果となった。
 これはあくまで不倫の疑いであり、それに対して小室哲哉は不倫ではないと釈明したうえで、このように変な騒ぎ方をされてしまったのだから引退すると表明したわけだ。

 ただし、その週刊誌の記事とは、彼に引退を迫ってはいないし、引退に追い込むようなものでもなかった。
 また、疑惑を否定したなら引退することない。
 それにアイドル歌手ならまだしも、裏方として歌を作っている者が醜聞によって引退するというのは異例のことだ。

 もちろん、騒がれる原因を作って迷惑をかけたから、と言うことはできる。
 それにしても、反省の意味で活動を休止するものであって引退とは唐突である。
 そして、この対応が功を奏し、多くの人たちは、騒ぐほどのことでないのを週刊誌が変に騒ぐからやっていられなくなった、という受け止め方をして、週刊誌の方が批判された。
 だから「文春砲」が跳ね返されたと言われている。

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 ところで、小室哲哉は最近とくに目立つ音楽活動をしていないし、才能の枯渇を理由に以前から引退を考えていたとも述べていたから、これを利用して週刊誌に対抗したとも言われている。この意味でも成功ということだ。

 それなら、彼の作曲についても総括したい。
 昔から、小室哲哉の作る曲は転調するのではなく歌の途中でいきなり別の調子になるから違う旋律が3つくらい接しているだけだが、あれでいいのか、いずれ廃れるか、それとも受け容れられるか、という議論の決着はついたのだろうか。

 

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by ruhiginoue | 2018-01-28 17:59 | 音楽 | Trackback | Comments(1)
 西部邁の自殺という報で思い出したのだが、この人に偶然出くわしたことがある。あれは1993年のことだとはっきり憶えている。用事で行った中野区内の西武新宿線でのことだった。
 その日、新宿から下り高田馬場で西武新宿線に乗り中野区内の新井薬師前駅で降りたら、ちょうど階段を降りてきた西部邁に出くわした。誰か不明だが若い女性が同行していて、何かの用事で来た帰りのようだった。
 そして具体的には不明だが、その用事に関わる話をしているのが判り、その女性と一緒に電車に乗ったのだった。もしかすると秘書かアシスタントを雇っているのかと思ったが、はっきりとはしなかった。
 このときの態度は、なんか気取っているような感じだった。少なくとも機嫌は良さそうだったので、用事がうまくいったのかもしれないと想像した。

 ところで、この西部邁という人は保守を自称するマスコミ人としては少数派の反米主義者で、左派だったけど転向したと言っていた。つまり清水幾太郎と同じだ。
 この人はもともと『別冊宝島』が過剰に持ち上げていた程度で、一部で知られているだけだったのをテレビが宣伝した。この番組『朝まで生テレビ』のことを京大の浅田彰が「全共闘テレビ」と皮肉っていた。
 そして西部邁の死去に「『朝まで生テレビ』でご一緒して思想信条は異なるけど云々」とつぶやく人たちがいるが、あの番組は激論のふりして出演者たちは馴れ合ってると開始当初から告発されていた。だからモノマネでも西部邁に大島渚がバカヤローと怒鳴り田原総一朗がなだめ、実は盛り上げるため怒鳴る合図を出してたことが暴露される。

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 それにしても、死後の美化がひどすぎる。お笑い芸人と同じで、テレビでメジャーになると中身そっちのけで流され迎合する人たちがいるというわけだ。
 そして美化している人たちは、保守なのに安倍晋三を批判していたから、と言っているが、それがそんなに偉いことだろうか。安倍晋三なんて批判して当たり前だろう。
 かつて西部邁はビートたけしと一緒に雑誌で対談し「大衆はバカ」と言いあっていたが、これは自民党を支持しない者に対しての発言だった。今になって安倍政権が悪いと言い出しているのも、たんなる自称エリートの戯言でしかない。
 また、この二人は、大学時代に極左過激派の中でも特にタチが悪いブントの中ないし近くにいたと言われていることは周知のとおり。

 それより少し前だが、朝日新聞の本多勝一記者は西部邁の書いたものやテレビで言ったことがメチャクチャであることを指摘し、まったく論理的思考ができないと批判していたが、デーブスペクターもテレビで西部邁の話にはまとまりがないと苛立っていたし、それ以上にキツかったのが佐高信で、西部に対してその発言を批判をするだけでなく容姿まで「薄汚い」などと侮辱した。

 しかし佐高信は商売になると西部と同席するようになり過去の批判を封印した。こういうことはビートたけしがよくやってきたことで、だから佐高信はビートたけしのことが嫌いだと批判し続け来た。それでいて、というわけだ。
 この醜い処世術は本多勝一がよく批判していた大江健三郎よりはるかに悪質だが、佐高を褒めて週刊金曜日の仲間にした本多は、いったいどう思っているのか、という話は、すでに拙書『朝日新聞の逆襲』で詳しく述べたとおりである。




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by ruhiginoue | 2018-01-27 12:35 | 社会 | Trackback | Comments(2)
 日本維新の会の松井一郎代表は24日の定例記者会見において、ツイッターに投稿した内容で名誉を傷つけられたとして新潟県の米山隆一知事に550万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしたことについて質問されると、「裁判ではっきりしたい」「謝罪してくれればいいんですよ」「誤解だと言うならまず謝罪すべきなのに言い訳ばかり」と述べた。

 これは、松井代表のことではないのに、そうであると誤解を招く記述をしたということらしい。

 これに対して米山知事はツイッターで「1.私は直後のツイートで『文章上分かりづらかったなら恐縮です』として謝罪しています。2.松井知事代理人は和解の申し入れの際、まず謝罪ではなく金銭の支払いを求めておられます。あまり事実に反することをいわないで頂きたいと存じます」と反論した。

 もともとツイッターの記述では取違えや誤解がよく生じるもので、それなら補足や訂正をして、迷惑をかけたり、かけそうになったりしたら、関わる者に詫びたり謝ったりするのは当然であるし、それでだいたい済む。
 まだ許せないというなら話は別だが、謝罪したのにしていないと非難するのは奇妙なことだ。謝り方が足りないとか方法に不満だということなら、そう言わなければならない。今の段階では松井代表の言い分が不可解である。

 ところで、これは自分の体験だが、前に天文学者と称する人のアカウントが、その専門とは違う分野のことで誰を指しているのか不明確な状態でデタラメだと非難していて、こちらにリプが来る形になっていたので、その部分だけ見た人のうちある程度の割合で誤解しそうだから、こんなことをするのは、ツイッターの扱い方を知らないのか、いい加減なのか、悪意なのか、原因は不明だがとにかく誤解させる記述はしないように申し入れた。
 するとその人は、文句があったら裁判に訴えればいいとか、ずいぶんと横柄な反応だった。そのデタラメというのは、あくまでその人の見解だから、そうでないと思う人もいる以上、客観的な事実ではなく、そうなると、原因となった事実はあるので訴訟で糾弾することはできるけれど、対費用効果など色々と考えると難があるし、なにより相手が無名すぎて意義が乏しいという結論となった。

 これと併せて考えると、松井代表が米山知事をあえて訴えたのは、話題づくりのための政治的な効果を狙っている、というのが最も考えやすい。
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by ruhiginoue | 2018-01-26 19:15 | 政治 | Trackback | Comments(1)
 元大阪府知事の橋下徹氏が、ツイッターによって虚偽を流布され名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの岩上安身氏を訴えたそうだ。
 これは、岩上氏が橋下氏についての話をツイッターで拡散させたというもの。岩上氏自らの記述ではないがリツイートしてのちに取り消したということだ。

 そもそもツイッターの匿名アカウントは無責任であり、それゆえ信用性も乏しいものだ。フォロワーの数も大したことがない。なので影響力は乏しい。だから無視しておいても大丈夫だ。
 しかし、個人でも団体でも実名など責任を明らかにしているアカウントは、それゆえ信用されるし、有名ならフォロワーの数も多い。

 この点、橋下氏についての情報も、もとは誰かの流言や風説の類であったらしいから、信用においても拡散においても影響力は大したことなかったが、それを実名で責任を明らかにしながら発信している岩上氏がリツイートしたなら信用性があると感じる人は多いだろうし、しかも岩上氏のアカウントにはフォロワーが約18万アカウントあるので比較にならないほどの拡散をするであろうことは言うまでもない。

 そして、橋下氏も指摘しているが、ツイッターの投稿をめぐっては、自らのものでなくても、リツイートしたことで名誉毀損に当たるとした裁判例がある。
 あとは、リツイートはしたが、しかしとっくに取り消しているというのが、どのような経緯や状態だったかということだ。これが裁判になれば問題になるだろうから、そちらを見てからでないと何とも言えない。

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 ただ、一般論として言えることとして、以下のようなことがある。

 よく「リツイートは賛同の意味ではない」と予めエックスキューズしているアカウントがあるけど、それは不適切だ。引用リツイートがあるのだから「このような意見もあるが自分は賛成(あるいは反対)だ」とちゃんと明記すべきだ。
 あと、引用リツイートであっても、拡散させながら「真偽不明」と逃げをうつのも卑劣だ。そういうことをする人が時々いて、自分でも被害に遭ったことがある。もともと、明らかに否定的な評価につながる情報の拡散など善意では絶対にやらないことであり、しかもそこで逃げをうつというのだから悪意であることが見え見えである。ウッカリとリツイートしてしまうよりタチが悪い。

 こうしたことから、タチの悪い実名アカウントは場合によっては法的措置だが、それ以前に、基本的に匿名アカウントは相手にしない、ただし面白いことを受け売りするのはいいが、賛否が分かれそうなものに対しては自分がどちらであるか明記し、情報とか事実で未確認のものは無視、という基本原則を守るべきだ。



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by ruhiginoue | 2018-01-25 14:17 | 社会 | Trackback | Comments(3)
 予定が入っていた日に雪が降って、しかし本格降りになって交通が混乱する前に帰宅したという話を昨日したが、その雪の夜にどこかで火災が発生したらしく、おそらく寒いのでストーブが原因ではないかと思われた。この対応に向かう消防車が二台連なって通るのを見たけれど、急いでいるのにゆっくりと走るしかない様子であった。

 そして次の日は晴れて雪が溶けているけれどまだタイヤチェーンの音がしていて、ちょうど八甲田山の日であった、という話の続きだった。

 さらに次の日も晴れて、ただ溶け残る雪が道の端にある。
 そしてこの日は八甲田山に続き雪の踏破ということで『闇の左手』を思い出す訃報があった。

 ところで、出かけた予定というのは投資の話であった。
 先日は新年会で出版関係者が集まっていたが、このときやはり投資の話がでた。本や雑誌の仕事で金が入ったらなるべく投機と言う人はよくいて、そういうことをしないで散財した挙句に困る人はバカということになるが、それ以前に無駄遣いも投機もできないほど資産が無い人がいて、そういう人たちが忘年会や新年会から姿を消している。

 そしてナントカコインを持っているという仕事上の知人の話は面白かったが、その一方で投資のための口座についても課題となっていた。なぜならNISA口座についてこれからは「マイナンバー」が必要となるからだ。

 この番号について、地方自治体が企業へ送る従業員の個人住民税額通知書にマイナンバー制度の個人番号の記載を定めていた規則を政府が改正したと判明し、2018年度から番号記載が不要になるそうだ。なぜなら誤送付による情報漏えいが相次いだほか、通知書を管理する企業側の事務負担が重く、経済界や自治体が不記載とするべきだと訴えていたからだ。
 

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 だから、前から危惧されていたことが現実に具体化しているわけで、危険なのでこの番号を使用してはいけないという呼びかけがされていたけれど、もう本格的にまずいということだ。
 しかしマイナンバーはNISAで新たに取引するにはすでに必要となってしまっている。それなら、非課税より危険の回避が優先ということになる。
 それに、もともとNISAとは少額投資非課税口座である。影響は乏しいし、いずれ無くなるとみられる。ちょうど、かつてあったマル優(少額貯蓄非課税制度)のように。かつては口座を大量に作って預金を分散させて税金逃れしていた人もいたが、これも無意味になってマル優そのものが廃止された。
 これを最近の若い人は知らないかもしれないと思ったが、銀行に勤務している人は自分で使用したり見たりしたことがなくても、制度自体はちゃんと知っていたから、それはさすがと感じた。

 それはともかく、ありがたくもないもののためにマイナンバー出すことないとだけは言えるだろう。




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by ruhiginoue | 2018-01-24 15:45 | 経済 | Trackback | Comments(4)

八甲田山の日

 昨日は前から予定が入っていて、出かける時間になったら雪が降ってきて、ついてないかと思ったが、帰宅してから本格的な降りようで交通も混乱したから、ついていたのだった。

 雪といえば、かつて秋田県の親戚の家に行ったとき地元のテレビで『復活の日』を放送していて親戚と一緒に観たら、南極基地に外から帰ってきた隊員の服から雪が軽々しく落ちるから従妹が変だと言って笑った。『南極物語』などの前、日本映画初の南極ロケを売りにしていたがセットで撮影した場面もあることを日本海側で生活している人は見抜いたのだった。
 この1980年公開の映画『復活の日』といえば、南極ロケ隊の船が座礁したことが報じられ、これを逆手にとって宣伝に利用したので、さすが角川と言われていた。

 そして翌日は雪が止んで晴れ、雪が解けて雫の落ちる音と雪かきの音があちこちから聞こえてきたが、この日は「八甲田山の日」である。
 1902年1月23日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難した事件があった。
 この事件をもとに映画『八甲田山』が製作され、77年に公開となった。製作は創価学会系のシナノ企画であったが、その前の『人間革命』のような宣伝ではなかった。遭難した司令官が雪の中で「天は我々を見放した」と言う場面がテレビの宣伝に使われて、当時はちょっとした流行語になった。よくパロディにされていて、デビュー当時だった小林よしのりも漫画の中でやっていた。

 この遭難事件は、そもそも冬の八甲田山では冬の重装備が必要だったのに指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始し、猛吹雪の中で道を見失い寒さと飢えと疲労のために遭難してしまい、25日になって199名の死亡が確認されたということだ。
 これと同じころ、別の連隊38名は同じルートを逆から踏破に成功していて、なぜなら装備と訓練をきちんとして十分な準備のうえでのことだったからだ。

 この点、映画の描き方は弱かった。また、別の部隊のどちらなのかが見ていてよくわからない。このような問題について黒澤明監督は、見て瞬時に判別できないものは動く方向の基本を決めて統一させておかなければならないと指摘していたが、この映画の監督は黒澤明監督の助監督をつとめていた人なので、なのにどうしちゃったのかと思ったものだ。

 そして、これは一昨年ここで述べた(ツイッターでは動画も)が、八甲田山に行ったら施設に映画のロケ隊の写真が飾られていて、頂上まで行ったら霧が出てきて視界が一メートルもなくなってしまい、ここで道に迷ったら、まず八甲田山で遭難なんてシャレにならないし、天に見放されたのではなくただのバカだから、予定を変更して下山したということだった。

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by ruhiginoue | 2018-01-23 19:23 | 映画 | Trackback | Comments(7)
 このあいだ、テレビで大和総研チーフエコノミストの熊谷亮丸という人が「中国は所詮は社会主義の国ですから」と言って中国がどんなに伸長しても日本がまだ大丈夫という、かなりお粗末な話をしていたということで話題になっていた。

 だいたい、このような紋切り型は三十年前の決まり文句で、こんなことでは最近の中国の発展を解読できないし、それでもまだ日本が大丈夫だと、ろくに分析もなく言われて本気で信じられる人がいたとしたら、認識が三十年前のままということではないか。

 ただ、他にも三菱総研とか野村総研とかいろいろあるけど、どこもナントカ総研ってとこから出てきてナンチャラいう連中って昔から偉そうにしていて、それにしては大したことがないものだ。

 それで、前から感じてきたことなので、よく銀行や証券会社で投機部門の仕事をしている人に訊いてみたのだが、その答えによるとナントカ総研というところにいる人はこの業者の中ではエリートというか頭のイイ人たちの行くところだそうで、だから威張った感じがするわけだ。
 このような人たちの嵌っている枠組みのため、威張っている感じを醸し出していて、しかし枠組みそれ自体が大したことないものなので、その限界から、それにしてはこの程度だから、見ていて「なーんだ」という印象を与えるのだろう。

 しかし、けっこういい給料をもらっているらしいから、それで勘違いして自信たっぷりの態度になるし、そこからネトウヨ並みの発言となるのだろう。
 そして、まだネトウヨなんて言葉もインターネットも無い少年時代に読んだ三菱総研編の世界情勢の分析と称した本に「これが経済を予想する専門集団の認識か」と呆れた記憶を久しぶりに思い出した。もっとも陳腐な認識を、もっともシリアスなものだと思い込んでいるように語っていたからだ。

 ただ、これで給料をもらってただ飯食っているのでもないから、他に存在意義があるのだろう。それについては色々と想像しているので、いずれ検証の結論を自分なりに出して公にしたいと考えている。



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by ruhiginoue | 2018-01-22 17:14 | 経済 | Trackback | Comments(1)