井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

<   2018年 02月 ( 28 )   > この月の画像一覧

 大学生にも読書を全くしないという人は多数派だという調査結果が某マスコミで発表されたが、その実態が問題で、本を読もうとしないのか、読みたい本が無いのか、どちらだろうか。

 そして書店に行くと、歴史修正主義や排外主義のヘイト本が並んでいる。こういう本ばかり目立っているから書店に行く気が失せると言う人がいるけれど、一方、そんな本が目立っているのは儲かっていないからだという指摘がある。
 なぜなら、そのようなヘイト本は安直に作れるから、そこそこ売れるからと手を出す出版社があるわけで、悪口しかも権力の側にすり寄って弱い者いじめだから内容的にいいかげんでも通用するし、まして悪口の対象が外国なら訴えられたりもしないので楽できる。

 こういうことをしていると、そのうち出版社は潰れる。あの昨年夏に倒産した日新報道のように。ヘイトなどしょせん疑似愛国とか自慰愛国でしかなく、それらのいわゆる「愛国ポルノ」は一時しのぎにしかならないからだ。
 まるでイタリア映画『ニューシネマパラダイス』の最後の方の一場面のようである。主人公が子供のころ入り浸っていた田舎の映画館を訪ねると既に閉館していて、そこの経営者は、テレビやビデオの普及で客が減ったからと言い、そこにはポルノなど安っぽい映画のポスターが貼ったままになって色褪せているから経営難だったことが判る。

 この映画館のようになりそうな出版社がいくつかあり、三途の川の向こう岸から日新報道の亡者が手招きしていることだろう。


f0133526_15220990.jpg

人気ブログランキングへ1日1クリック投票をお願いします
[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-28 15:24 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 『男の孤独死』(長尾和宏・著、ブックマン社・刊)を読んだ人が、この本のタイトルをテーマに語っていた。
 それによると、夫に先立たれた妻は長生きするが、妻に先立たれた夫は後を追うと俗に言われるけれど、これは必ずしも後追い自殺するわけではなく、男の一人暮らしは栄養面や衛生面など生活の質が落ちるということもあり、一人暮らしで酒におぼれたアルコール依存症の男性は孤独死に至りやすい典型なのだそうだ。
 また、安易な食生活のため菓子パンなどでブドウ糖依存になり、糖尿病そして認知症になって孤独死というケースも多いという。さらにタバコ依存によるガンや火事なども加わる。

 しかし、これは今の老人世代に限ったことである。あるいは今までの老人世代に多かったことで、もう心配することはほとんどないと言うべきだ。
 その指摘のとおり、依存していた妻に死なれた男が一人暮らしすると生活の質が落ちて不健康になるから孤独死しやすいだろうが、もっと後の世代になると、男はしっかりしていて女はだらしないという人が増えてくる。そういう人たちは、男一人でいるだけてもストレスがなくて健康になれるだろう。

 なによりも、今の老人世代がひどすぎる。寄る年波で自動車を運転するとぶつけでばかりいるのに年寄りの冷や水で運転して事故を起こすことと同じだ。こういうことはいつの時代でも存在することではあるが、今の老人は石原慎太郎の世代だからひどすぎるのであって他の時代とは比較にならないのだ。その中で、あの、隣に妻以外の婆さんを乗せて気取りたい爺さんが家族が止めるのを振り切って暴走したうえぶつけたり殺したりという事件が群馬県で起きたりする。

 それと同じことで、孤独死も今がひどすぎるだけの一時的なことで、あとは心配がない。少なくとも今ほどの心配は絶対にない。




[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-27 18:15 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 先日、女性専用車両に男性数人が故意に乗り込み、通勤ラッシュ時の千代田線が12分遅れて大迷惑となったことが報じられた。
 そもそも、女性専用列車は痴漢対策だが、満員電車と一極集中を取り除くことこそが根本的対策のはずで、それが今のところ不可能だから女性専用列車もやむを得ないということになっている。
 そして、この方法に問題があると考えるなら、他の対策を講じるよう鉄道会社に申し入れや提案をするべきだし、また根本的な対策は都の知事や議員などに陳情をするべきだが、それをしないで女性専用列車に割り込むというのでは、権力は怖いので物申せないから女性に嫌がらせしているとしか考えられない。ちょうど、政府の対米従属外交を批判するわけでもなければ武装蜂起して外国に攻め込むこともできず在日の学校に嫌がらせし、それもチマチョゴリ型の制服を着た女の子に嫌がらせする人たちがいるけれど、この臆病な卑怯者たちと同じである。

 また、女性専用車に乗り込みゴネた男たちというのは、飲食店の禁煙席でタバコを吸って注意され居直る客と酷似している。客商売だから従業員が下手に出ないといけないところへ付け込むことと、妙な被害者意識を剥き出して反抗することが、共通している。
 さらに、飲食店でゴネる客には、お子様ランチやレディースセットを食べさせろと言い張るオッサンまでいる。お子様ランチを子供のころに食べられなかったトラウマを抱えている人ならいるけれど、レディースセットは、性同一性障害など事情がある人も絶対にいないとまでは言い切れないが、だいたいは女性にだけサービスするとはエコヒイキだとか男性を差別しているとか言い出すオッサンが圧倒的に目立つ。

 このような被害者意識を持つ人がいるのは、なぜだろうか。タバコの場合、かつて「ホタル族」と揶揄ないし同情されたように、子供が産まれてから赤ん坊に煙の害を及ぼさないようベランダでタバコを吸うお父さんたちが、タバコの火を暗闇でホタルが飛び交うようにさせながら、近所迷惑で苦情を受け「もっと広い家に住みたい」と愚痴っていることがテレビで放送されていたけれど、そういうことを自宅でやっているため、その抑圧により禁煙席でタバコを吸い、自宅と違って店の従業員なら下手に出るので、何か言われるとゴネて喚き散らし返すということがあるだろう。
 だから、女性専用列車などに反発している男性たちも、家庭などで妻などから何かしら抑圧を受けているはずだ。






[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-26 18:58 | 社会 | Trackback | Comments(7)
 かつて、高田馬場の古書店街で買い物をしたとき、近くにある大学の学生が使い終わった教科書を売りに来て、店主はどこの学部かという話を慣れた調子でしていたから、ここの店ではそこの大学の学生が教科書や参考書の売り買いをしているのだろうと思った。
 こういう店が大学の近くにあると便利だろう。

 このとき「ソプラノ課題とバス課題の実施」のための和声学の教科書が何故か店に置いてあり、それに前の持ち主の名前が書かれていて、だから安いのかと納得しながら、教科書なのでとにかく使えればいいからと買ったのだった。
 これを、習っている音楽の先生が見て、誰かの名前が書いてあるので借り物なのかと訊ねられたから、高田馬場の大学近くにある古本屋で安く手に入れたと言った。その大学は総合大学だが音楽の学部はない。なのに、よく置いてあったものだということも言った。

 そして、教科書を売りに来た学生の話をしたところ、先生は、なんとも不可解そうに、なんでそんなことをするのかと言った。売るなんてことしないで後輩にあげればいいのに、自分はそうしていたし、同じ大学の人たちもそうしていた、というわけだ。
 おそらく、今はわからないが当時その高田馬場にある大学は貧乏学生が多いと言われていて、一方その音楽の先生の出ている音楽大学は学費が高く、二倍くらいの差があったはずだから、教科書のことがセコイと感じられたのではないか、と思ったものだ。

 ただ、金があろうとなかろうと、高い学費に比べれば高額な教科書でもしょせんは本なので微々たる値段という感じがする。だから、あの高田馬場の古書店で教科書を売り買いしている学生も、楽しんでいる要素があったのではないかと思う。ネットオークションで売り買いしている人たちも、手間がかかる割に利益は少ないけど遊びの感覚でやっていると言う人が多いので、それと共通しているのではないかと想像している。




[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-25 19:34 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
 読み終わった本はすぐに捨ててしまうが、それでも一万円を超える定価の本は捨てにくい。
 そんな一つが『管弦楽法』(伊福部昭 著・音楽之友社・上巻13500円、下巻9500円)である。
 これを読んで、CDが付いていて欲しいと思ったものだ。辞書とか六法全書とか軽くて引きやすくするためにCD化しているものがあるけれど、それに加えて音楽の理論書は音が出てくれたら遥かに解りやすい。
 さらに楽譜作成ソフトと一体化してしてくれたら申し分ない。

f0133526_14530775.jpg

 ところが、自分で考えたものを形にするというのではなく、考えることもAIがすでにやってくれている。もう今の段階でゲームの音楽くらいなら十分に使えるものが作られていて、すぎやまこういち作なんかより独創的ですらあるから、この技術がさらに進歩すれば、もう商業的な作曲家は要らなくなるだろう。

 これはAI製ゲーム音楽の一例である。

 ただ、ゲームに音楽が必要不可欠かという疑問もある。効果音がほんとうに充実していれば、音楽が必要ないくらいだろう。
 また、最近の映画がどうも不自然なのは、映像表現技術の進歩によって、かつてのように音楽で雰囲気を煽って補助しなくても良くなっているのに、古い感覚で音楽を入れるなど余計なことをしているからだ。

 たしか実相寺昭雄だったと思うが、その特撮映画をよく監督していた演出家は「コンピューターのゴジラなんて見たくない」と言っていたけれど、今ではそうなってしまっている。それで音楽が映像の邪魔をしている。

 かつて、ゴジラの映画で最もヒットした『キングコング対ゴジラ』で、大タコが出てくる場面にグリッサンドでニュルニュルした感じを表現する音楽が流れていたけれど、このとき作曲した伊福部昭は、特撮の円谷英二が本物の生きたタコをセットに入れたりして大きく見せると言うので、本物のタコなら音楽が要らないじゃないかとも思ったそうだ。

 あとは言うまでもないだろう。 


[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-24 15:32 | 音楽 | Trackback | Comments(6)

悪魔化のプロパガンダ

 ネット上で三浦瑠麗が美人か否かなんて話があり、それに対して、そんなことは関係ないだろうとか、そんなこというのは女性を顔で判断してるとか、そんなふうに批判する人がいるけど、もちろん彼女の言うことがマトモだったらそんなこと関係ないが、あんなデタラメやメチャクチャばかり話していて、なのにテレビに出して発言させるとは不可解すぎるから、これはおそらく何故かあれを美人だと思う人がいて起用してるのではないか、という話になるのだ。

 そんな三浦瑠麗の発言が問題になった直後に、もともと悪名高かった右翼活動家が朝鮮総連本部発砲事件を起こした。
 これを支持する人たちがネット上で狂喜の発信をしていて、実際に行動を起こした人たち以外にも潜在的に狂信的な人や狂暴な人が存在しているとして危惧する声があがっている。

 ただし、ここで特徴的なのは「朝鮮総連なら発砲されても仕方ない組織」という正当化であり、ほんらい暴力は悪いし発砲なんてとんでもない、という常識が覆されてしまうことだ。
 こうなるのは、敵を作ったり、敵に見立てたり、そのうえで「悪魔化」する論法のためである。これは戦争プロパガンダの手口の一つであることを、前にここで外国人ジャーナリストの言葉とともに紹介したはずである。

 このため、暴力事件を起したり事件を支持したりの人ではなくても、とにかく北朝鮮と朝鮮総連の「悪魔化」をしさえすれば何でも正当化されると勘違いするのだ。
 その証拠に、そういう誤りに陥った人は、それをいくら否定されても、ひたすら「悪魔化」で応じ、「悪魔化」で思考停止して、すべて「悪魔化」で解決とか、持論を否定をされても「悪魔化」によってすべて反論できると錯覚したままでいるものだ。
 
  この手口は単純で便利だから、マスメディアも重宝がるので気を付けないといけない。



[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-23 18:24 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 以下、文中敬称略

 百田尚樹がTwitterで、オウム真理教事件の坂本弁護士殺害は江川紹子がきっかけを作ったのであり、その後、江川紹子はこの事件で有田芳生と同様にテレビに出演して稼いだ、という趣旨の発言をし、これに対して、坂本を殺害したのはオウム教の狂信的な信者であったのだから、江川のせいで殺されたのではないという批判が起きた。

 これについての客観的事実は次のようになる。

 まず、オウム教の問題で坂本弁護士に相談がもちかけられたのは、江川紹子が話を持って行ったからであり、これは江川が認めている。テレビに出演したときも言っていた。だから江川は坂本が事件に巻き込まれるきっかけではあった。
 しかし、あくまで坂本を殺害した犯人はオウム教の信者であり、その犯行動機とは、坂本がテレビの取材を受けてオウム教を非難したからであった。これは実行犯であるオウム教の信者らも認めている。
 また、オウム教を批判している人たちは他にもいたが、坂本弁護士の場合は他の人たちと少々違い法律家としての見地から厳しい指摘をしていた。オウム教が資金集めのために行っている事業の中で詐欺になる行為をしている実態を、同弁護士は自ら調査したうえで具体的に明らかにしていたのだった。

 そして、このときのインタビューが放送されていないのに、この収録をしたTBSが、オウム教の関係者からその内容を問われると、なんとインタビューの録画を勝手に見せてしまった。しかも坂本弁護士には無断であった。放送されていれば口封じという発想にはならないが、放送されていないから世間に知られていない。
 そして坂本は、インタビューがまだ放送されていないのでオウム教がどういう反応か解らなかったし、まさかインタビューの内容がオウム側に漏れているとは想像もしていなかった。ところが、そのときすでにオウム教は坂本に危機感を持ち敵意を抱いていた。
 この結果、坂本はまさに不意打ちの形で襲撃を受けてしまい、妻子とともに自宅で殺害されてしまう。
 それで、坂本の遺族は記者会見の時に先ず「TBSはお断りです。出て行ってください」と言ったのだ。この怒りはもっともだろう。

 また、警察の対応も批判された。坂本弁護士一家が行方不明になって騒がれても、警察はのらりくらりとした対応で、しかもこの現場は神奈川県であり、当時、神奈川県警といえば不祥事連発でマスコミにも大きくとりあげられていたほどだった。
 そのうえ神奈川県警は共産党の緒方議員宅盗聴事件も起こしていて、このとき緒方議員の代理人を受任していたのが坂本弁護士の所属している横浜法律事務所だったから、直接敵対する関係であった。こういうことも影響したと当時から指摘されていた。

 こうして事実を確認すると、坂本弁護士殺害事件について江川紹子の責任という話は成立しないから、なのにわざわざ話の中に持ち出した百田の行為は、江川への批判ではなく嫌がらせと言うべきだ。

 ただ、当時、萩原健一のヒット曲『大阪で生まれた女』を替え歌して「♪オウム騒動で~売れた~女や~」とテレビで皮肉っている芸人もいたように、オウム真理教事件によって江川紹子が頻繁にテレビ出演していたことは事実であるし、このとき出演するたびに着る物が高価そうになるから、テレビのギャラは良い額なのだろうと巷で話題となっていた。
 また、江川紹子はテレビに出ているとき、坂本弁護士を巻き込んでしまったと言って嘆いたが、これは自分が事件で売れたことに対するうしろめたさがあったのではないかと多くの視聴者から言われていたし、そこで江川が号泣したのが唐突だったから、空々しいとか、あれはそうして見せるパフォーマンスだろうとか言われ、女子高生たちは「ウソ泣きオバサン江川紹子」と言っていたものだ。
 このようなことがあったから、百田尚樹を批判する人がいる一方で、「しかしオウム教事件で坂本弁護士は殺され江川紹子は稼いでいた」という部分は事実だと言う人たちもいるのだ。

 しかし、ほんとうに問題なのは次のことだ。
 元信者で、もうオウム教とは関係なくなった人とか、それ以上に元々関係ない信者の子供とか、そういう人たちまで偏見や差別を受けた事実がある。
 これについて人権問題と認識し、子供が就学拒否されたら行政に抗議する、などの活動をしていた人たちがいた。そのうち山際永三(演出家・映画監督)は、テレビの姿勢を問題にしていた。オウム教事件が官憲に追及されるようになったからと安心して叩く者がいて、それだけにとどまらず、そこで権力に便乗した言動をすることで偉そうにする。こうしてマスメディア特にテレビは偏見と差別を煽り、なかでも有田芳生と江川紹子の態度はまさに「虎の威を借る狐」というべきひどいものだ。このように批判していた。

 また、それまでさんざん教団の迷惑行為を放置して地元住民の苦情など無視していた警察が、霞が関を標的にされたら教団を強制捜査し、そのさい信者をかたっぱしから逮捕して取り調べるために、どうでもいいようなことを口実にする「微罪別件逮捕」をしていることが問題になった。
 これでは、オウム教事件を利用して、権力の濫用の前例にされそうだと危惧する声が上がった。取り調べのための別件逮捕だけでも違法であり冤罪の温床だが、しかも微罪というのが冊子やチラシを束ねているのをほどくためのに持っていた文具のカッターナイフで「銃刀法違反」だと逮捕してしまうことまであった。
 しかも、民族主義団体の顧問で予備校講師・評論家の鈴木邦男が、こう指摘した。カッターナイフを持っていたのを銃刀法違反で逮捕なんてことは、自分や仲間が政治活動をしている中でざらにあったことである。前例どころかすでに常套手段であり、これを批判せずに見逃してはならないと警告していた。
 ところが江川紹子は「この事件には~やっても仕方ないと思いますう~」とテレビに出て言い放ったのだ。この人はすべてがこの調子であった。それも官憲と一体化していちいち上から目線で、山際永三が指摘したとおり「虎の威を借る狐」であった。

 ところが、こういうことを百田尚樹は批判しない。自分も権力にすり寄って「虎の威を借りる狐」の商売をしているから当然だろう。だから、江川紹子に対して批判ではなく嫌味の悪口しか言わないのだ。
 また、例の「W吉田」で朝日新聞が権力に迫害され窮地に立ったとき、そこへ付け込んで非難したことも、百田尚樹と江川紹子は共通している。このことは拙書『朝日新聞の逆襲』(第三書館)で述べたとおりだから詳しくは省略するが、「虎の威を借る狐」であると同時に「同じ穴の狢」でもあるのだ。

 つまり、百田尚樹と江川紹子どちらも糞である。「目糞が鼻糞を嗤う」とは、まさにこのことである。



 



[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-22 13:50 | 社会 | Trackback | Comments(2)
 税金の時期だが、本の売り上げを見ていると、「取次」と呼ばれている問屋の取り分が多いという話を出版社に言われたことを思い出す。出版社と書店の間を取り次ぐという意味だが、出版社との力関係で契約が異なるとか、週刊文春が週刊新潮の見出しをカンニングしたというあの事件で現場となったとか、いろいろな問題や騒動の舞台となっている。
 
 そして先日、小説家の女性が地方で自ら書店を開こうとしたら、書店の取り分が少ないことに驚いたと述べていた。本の場合は委託販売であるから商品の仕入れに資金が要らず場所さえあれば開業できるということで、どうしても店の利益が薄くなる。

 かつてレコードとかCDの仕事をしたことがあり、そのさい色々な店に行くと、次の仕入れのために返品ばかりしている店は、商品の棚や業界用語で「餌箱」と呼ばれている商品の入れ場がガラガラになっているところがあり、経営状態は一目でわかるからセールスに行くときの判断が比較的楽だけど、それと書店は異なり、儲かっていようといまいと商品がいっぱいということもありえる。

 ただ、書店は、薄利であるところへ、売れないときの返送料とか、万引きの被害とか、そういう負担をしなければならないので、これが大変である。
 また、書籍は売れないから返そうかと思っても、もしかすると明日売れるかもしれないと迷うが、そうではないのが雑誌で、売り上げの目安がつけられたのだが、これがスーパーやコンビニで売られるようになり、他の買物のついでという人が激増した。前に近所の小さい書店が商売替えしてタバコ屋になってしまったけれど、それは目の前にコンビニ店ができたからだった。こういうことが影響している。

 ということで、書店も出版社も著者らも努力はしているが、流通の問題があるということは、昔から言われてる。

 かつて井上ひさしが書いていたけれど、彼の母親が戦時中に闇物資の流通で稼いでいて、これについて「無力な政府に代わって物資を生産者から消費者に届けている」と社会的意義を説き、これでけっこう儲かっていることについては「紀伊国屋文左衛門の話があるだろう。三井や三菱も、そうだ。みんな物や金を動かすことで大きくなったじゃないか。文句があったら、物を作るより動かすほうが儲かるという経済の仕組みに言いなさい」とのことで、これは当たっていると井上ひさしは書いていた。



[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-21 18:03 | 経済 | Trackback | Comments(0)
 先ほど、都道で警察のパトカーが小型トラックに停止しろと呼び掛けて前に割り込むのを目撃した。トラックの速度は、かなりゆっくりだった。パトカーの警官は、トラックの運転手が運転中にスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」でもやっていると思ったらしい。あれは事故がよく起きていて死亡者も出ている。
 しかしトラックが停止して、その運転手(働き盛りのおじさんという印象)は、道がわからなくて地図を見ていたと言った。それだってダメだと警官は言い、なんでダメなのか、前を見ないで運転していることに変わりはない、という会話になった。

 ところで自動車で危険と言えば、先日、東京都港区の都道で、元東京地検特捜部長の石川達紘弁護士(78)が運転する乗用車が歩道沿いの店に突っ込み、歩道にいた建築業(37)が巻き込まれて死亡したことが報道された。
 この乗用車は一千万円もする高額な車種で、出力がありすぎるという指摘もある一方で、最新の自動停止装置が装備されているにも関わらず、ということだから運転者が高齢であったことも影響しているのではないかと言われている。

 どうであれ、群馬県で起きた事故など、爺さんの運転で若い人が死ぬ事故は深刻だ。
 あの群馬県の事故は、高齢者講習を受けることで免許更新した85歳の男性が、しかし、ぶつけたりこすったりの物損事故を数えきれないほど起こし、日常生活では認知症じゃないけれど物忘れが目立ち、それで息子など家族が、もう寄る年波だから運転をやめて免許も返すようにと言ってもきかず、止められても家族の目を盗んで運転し、事故を起こした日も予定より二時間も早く家を抜け出し、気づいた家族が駐車場まで追いかけたが、ふりきるように発車してしまい、それで他の自動車にぶつけて壊し、続けて塀にもぶつけ、登校途中の女子高校生16歳と18歳の二人をはねて意識不明の重体にし、のちに16歳のほうは死亡、さらに信号待ちで停まっていた自動車にぶつかって運転手を負傷させ、やっと止まって、これで警察に逮捕されると爺さんは「わからない」とか「気が付いたら事故になっていた」などと繰り返して言っているという、唖然茫然の事態である。

 この85歳の爺さん、運転は時々、主に老人福祉センターに行くためで、事故を起こした時もそうで、家族が運転する自家用車で送迎すると言っても頑として聞かず、なにがなんでも自分で運転し、なんでそうまでして運転するのかと不可解だが、その後の報道では、その老人福祉センターに集う高齢者たちの中に80歳の女性がいて、この人に会うのを楽しみにしていて、帰りは自分の車に乗せて送って行きカッコつけていたから、どうしても自分で運転したかったらしい。
 まったく呆れた爺だが、しかし石原慎太郎の世代だから当然かもしれない。障子紙を破れなくなったけれどクルマを運転して隣に女性を乗せることはしたかったのだろう。

 かつて、高齢化社会になったら自動車の運転で暴走させる人が増えると言われ、危惧されていたが、実際にそうなってみると想像していた以上に被害は深刻で、また老人の態度が醜い。それは世代のためだろう。




[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-20 15:49 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 山口敬之元TBS記者準強姦事件の「逮捕状執行停止問題」に取り組む超党派の国会議員の会合で、元TBSの杉尾議員は、逮捕を中止させた刑事部長について「キャリアの刑事部長で偉くなる事しか考えてない人が実際に捜査の現場で証拠なんか見るわけがない」と指摘し、自分で会ったことのある何人もの刑事部長たちはみんなそうだったと証言した。
 また、その事件の記録があるのは高輪署だが「それ見ないで刑事部長が判断出来るのか」と、弁護士だった福島議員が質問すると、警察庁から来た担当者は「専門性が高い警察本部が専門性の劣る警察署に指導するのは通常の事」と返答した。
 この様子の録画に、キャリア官僚の見当違いなエリート意識を感じた人は多い。
 
 ところが、高い地位に就いた者は相当に高い能力があり見識を持っている可能性があるから信じるべきだ、という論法で常に権力の不正を擁護したのが、先日自殺した西部邁という元東京大学教授の「評論家」であった。そして「大衆」はバカで無責任であるとコケにし続けた。そんな彼が死んだら美化して保守の論客と持ち上げている人たちもいるけど、もともとこんなことばかり言っていたのだ。

 この西部邁と同じなのが、首都大学東京の木村草太というタレント学者である。権力を縛るためにある憲法が専門でありながら、とにかく専門家は間違い無いので学校の教師はマジメだから信頼していて医師は正しいから娘に例の予防注射をさせたと発言している。
 まるで自己矛盾しているようだが、おそらく彼は、政治家は人気取りなどで地位を得ているからダメだが、専門家は学校の勉強で地位を得ているからダイジョーブだ、という発想なのだろう。他の解釈は無理だ。
 そして政治に介在するポピュリズムを批判するのではなく、予防注射の効果と安全性の問題で自覚した市民に対して耳を貸さず、それを否定しているのが専門家だから無条件で正しいという例の発言になる。まるで「井の中の蛙大海を知らず」のように「研究室の中の学者実社会を知らず」で専門バカ丸出しであるが、そこで西部邁と同様に大衆蔑視を露呈させている。

 こんな人をマスメディアは重用している。三浦瑠麗と同じである。マスメディアで「気鋭の」と売り出された人は批判と否定の対象でしかないものだ。騙されてはいけない。


f0133526_16182473.jpg






[PR]
by ruhiginoue | 2018-02-19 16:19 | 学術 | Trackback | Comments(0)