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井上靜に関するblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。Googleが誤情報を混ぜているので信じないで下さい。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue
 かつて野坂昭如のオカルト番組批判に賛同して一緒に抗議していた大槻義彦教授は、すっかりタレント化してテレビのCMにまで出る始末だった。手当たり次第に科学的根拠が無いという決まり文句で、それ自体がギャグの様相を呈していた。
 そもそも、野坂昭如がテレビ番組に怒ったのは、戦争の犠牲になった子供の霊を呼び出して喋らせるという不謹慎な内容だったからだ。実際に「霊能者」宜保愛子がアンネ=フランクの霊を呼び出したとして話した内容がいいかげんで、戦争体験のある者としては誰だって我慢ならなかったからだ。

 これと似たようなことは、幸福の科学の大川隆法が勝手なことをしまっくていて、そこに政治性があって人身攻撃までするから批判されている。そうした反社会性を帯びたものでなければ、死者の霊と話ができるという人の話は面白いし、それだけなら問題ではないと野坂昭如も言っていたように、目くじらを立てなくてもいい場合が多いだろう。

 しかし、大槻教授はタレント化するに従い「片っ端から非科学的」がエスカレートし、まるで差別糾弾が「言葉狩り」に転嫁していくのと酷似していた。
 それとは違い真面目だと謳われていたのが安斎育郎教授であるが、その著書について内容が可笑しいという話を東大でされた体験を前に医療裁判の話で紹介したとおり、自分の守備範囲でないというだけで否定するなど、かなり問題のある言動をしている。
 そして、やはりテレビに出てタレントふうのパフォーマンスもしていたが、なにより「知的資源の無駄遣い」という言葉を使い、先輩風を吹かせるというか権威者ぶるというか、ちょっとした好奇心まで頭ごなしに否定する姿勢に疑問を感じざるを得なかった。わかりきったことだといわれていても一応は疑ってみる姿勢は科学に限らず必要だし、自ら探求したうえで間違いだと判ったのであれば、成果はなくてもその過程に意味があるはずだ。

 さらに左巻健男とか菊池誠といった人たちが騒ぎ始めたが、この人たちについては、ここで改めて言わなくても既に色々な人が色々と言っている。

 そして、何をもってホンモノか、ニセとは何か、という定義も定まっていないのに「ニセ科学」と喚く滑稽な風潮が見受けられるようになった。ここには自分の尺度に合わないことにとりあえず否定の烙印を押しているだけの単純さが目立つ。

 しかし単純であることには意味がある。素人むけに本などを売ろうとするから、これに合せなければならない。
 また、ニセ科学批判本を買わされてしまう人は、もともと科学の本を読まない人だろう。なぜなら、そもそも科学の本を読んで自分の頭で考え何が正しいかと判断するのであれば、ニセ科学批判の本は要らないのだから。
 しかも、もともと科学に疎い人は、その批判が正当であるかの判断ができない。そうなると単純化され煽り説得するようにされたら、鵜呑みにしてしまう。これでは、ニセ科学に騙されるのと構造が一緒である。

 もちろん、正しい知識と判断は必要だけど、ことさらニセ科学と騒ぎ、あなたは騙されると脅すようにして本を売りつけるは一種のコンプレックス商法だ。科学的な間違いを話す人を擁護してもいけないが、無知の劣等感を植え付けてそこにつけ込み丸め込む手口にひっかかり買わされるのでは、バカにされながらカモにされるということだ。
 つまり、ニセ科学批判の本は、もともと知識や判断力がある人にとっては無用であり、逆の人にとってはむしろ有害であるとさえ言えるものだ。


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# by ruhiginoue | 2015-09-01 20:27 | 学術
 『火垂るの墓』の原作者である野坂昭如は、テレビ局の企画で今は亡き「霊能力者」宜保愛子が「アンネの日記」を霊視するという番組に激怒して抗議したことがある。死者の霊と話ができる人というだけなら面白いと思ったが、興味本位で戦争の悲劇それも子供の犠牲者を興味本位な見せ物のネタするなんてとんでもない、と。
 この宜保愛子という人は、もともと塾の教師で、英語が担当だったそうだ。そのうえ会話も堪能で、あの「超能力者」ユリ=ゲラーとも英語で直接話していたといわれる。
 この一方で、家族を亡くして悲しんでいる人の相談に乗り、塩と線香で供養する簡単で安価な方法を用い、多くの人を慰め励ましたから「愛の霊能者」と言われた。
 ところが、これにテレビ局が眼をつけて見せ物にした。そして、最初は相談料といっても数千円の謝礼だけ受け取っていた人だったのに、高額な報酬を渡されテレビ局の言いなりになったらしい。そういうことで批判されていた。
 
 もっと前から、心霊現象のトリックを暴露してきたのは、手錠抜け箱抜けで引田天功らに大いに影響を与えた奇術師のハリー=フーディーニだった。自分もトリックを駆使して見せ物にしているが、あくまで人を楽しませるためにやるならともかく、家族を亡くして悲しんでいる人の気持ちにつけ込むなんて許せないということだった。
 これと同じことを、「サラリーマン超能力者」と謳う高塚光という半ばタレントも言っていた。宜保愛子は人の心を暗くしていると言う趣旨だった。しかし、彼女は最初は逆だった。テレビ局に乗せられて変わってしまったと言われている。

 また、高塚光は、身体の具合が良くない人を超能力で良くすると称し、この「技」を実施したことで相手が良くなったと感謝しても報償は取らず、早くやめて本業のサラリーマンに戻りたいと言っていた。
 ところが、テレビ局の企画に乗ってトリックをしていたという批判もある。あのMr.マリックという奇術師に師事したともいわれていて、ユリ=ゲラーはMr.マリックと同じ師匠に付いていたという話だ。これは後藤民夫氏の著書で日本テレビ批判のさい、オカルト番組好きの日テレという中で言及されていた。宜保愛子もおもに日本テレビが利用していた。
 
 もともと高塚光の治療とは暗示をかける催眠術だったといわれているが、それを超能力と言うだけならシャレとして許されるだろう。それがテレビに利用されていたら変なことになったということであるし、これは宜保愛子も同様で、ただ『アンネの日記』のようにシャレにならないことに及んでは社会問題になるだろう。

 つまり、ある許容範囲を超えてしまうと問題となり、そのさいマスコミが商売に利用すると、歯止めが利かなくなるということだ。
 この点は、逆にというか批判している側にも同じことが言える。よくテレビでは、超能力などを散々とりあげておいて、それがトリックであるとバレたら、今度はカラクリを暴くという番組を作ってまたネタにする。そして、最初からこれを商売にする人たちが目立ち始める。

 以下は、前にここで続けて書いていたけれど、長くなったうえまとまりがなくなってしまったため、やはり次の回に分けて掲載するので、そちらを参照いただきたい。


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# by ruhiginoue | 2015-08-31 19:01 | 学術
 どっかの知事が、数学のサイン・コサイン・タンジェントなんて女性は使わないと言ってしまい、批判をうけて撤回ないし謝罪のようなことを言っていた。

 ただ、昔は、男なら使うが女は使わない世界があった。軍艦に乗っていた人が、必要だったから軍の講習で覚えたと言っていた。戦艦が主砲を発射して敵艦に命中させるには、弾の射程距離と敵艦との距離から砲塔の角度を決めるので、三角関数は必要だった。
 また、建築現場に山や池など障害物があって直接測れない場合に、他の場所を測ってそこから計算することができ、力仕事は男性が主にやるとしても、測量や計算なら女性がすることもある。

 こういうふうに、意義を説かれてやると、興味がわいて取っ付き易く覚え易い。それがないから、だいたいの学校の授業は無味乾燥でつまらないものになるのだろう。
 それに対し、軍艦に乗っていた爺様の話は、敵艦を攻撃する話をスリリングに話しながら、また宇宙戦艦ヤマトの主砲は砲弾と違って光線が一直線に飛んで行くのだから砲塔が動く必要はないとか、面白く話しながら数学の話も教わったので、学校と違って容易に覚えられた。数学の教師ではない人のほうが教え方が上手かった。

 あと、知事の発言を女性差別だと言って批判する人たちがいるけど、性別よりも問題なのは習う意義を知らない人が多いことだ。これは、自分で使わなくても、使っている連中に騙されないように知っておいたほうがいい、という意義がある。むしろこちらのほうが大事かもしれない。


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# by ruhiginoue | 2015-08-31 18:01 | 学術

若い人たちも国会前に

 今は国会前に若い人たちも大勢つめかけている。学生運動が衰退した70年代後半から、若者は社会の現実から逃避していわゆるサブカルチャーに浸り、連帯ではなくたむろするようになっていたが。
 それに比べると今のほうが健全だろうと思うが、そうは思わない人たちも少なくない。前から、拙書『宇宙戦艦ヤマトの時代』を読んで、あの時代がシアワセだった者としては共感できないと言う人たちの話を聞かされている。

 初日は映画館で先着何名かに撮影で使用したセル画(CGやデジタルペイントで絶滅危惧)をくれるというので、ラジオ体操の直後に近所の友達と出かけた。早く行けばもらえると思っていたのは小さい子供の発想で、この写真のように、映画館に着いたらすでに絶望的な行列となっていた。

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 そして、徹夜で待っていた大学生のお兄さんたちがいたという話に吃驚仰天したものだった。この時代が懐かしくて幸福だったという人たちが、早ければ孫もいる世代なのだ。
 それより更に上のほんとうに老人の世代になると、安保でデモに参加したけど無駄だったという自己卑下をしているのだ。
 それでシアワセなのだろうか。


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# by ruhiginoue | 2015-08-31 17:35 | 社会
 健康保険制度の悪辣さについて述べてきたが、これに対して戴いたコメントのうち、一般国民の意識の低さを指摘するものがあった。
 ここには、自分に関わることについても考えていない人が多いということがあるけれど、それ以上に「他人の痛みは我慢できる」という感覚も存在している。病気や怪我で特に困っている人に対して、さほどではない人たちは実に冷淡である現実がある。

 前に、健康保険の対象ではない高額な治療を受けざるを得ない場合について話題にしてきたが、これに対して保険の面では配慮がないけれど、税金の面ではいちおう確定申告のさい医療費控除の対象にはなる。保険の利かない医療のため高額となったことにより、何万円も返ってくることがある。

 ところが、そのお金は世帯主に渡る。まだ治療が終わっていないので、さらに金がかかるから、還付金はそれに使いたいと言っているのに、同居している父親が取り上げてしまい、自分の酒代などにしてしまったという例がある。
 この医療費は、患者本人が自分の貯金を使っていた場合もあれば、三世代同居で親が子供のため苦労して捻出していた場合もある。
 自分の子供や孫のためのお金なのに、いったい何考えてるのかと思う人もいるが、そういう人ばかりではない。

 このような仕打ちを受けた人が同級生に話したところ「いやあ!」と語気を強めて「俺だったら、どんなことがあっても親父に渡すよ」と言われてしまい、医療費で大変な思いをしていることと、親父は自分の酒代にしていたと説明しても「それだって、俺だったどんなに苦労していても親父のためにするよ」と頑として言われ、他人事だからそんなことが言えるのだと言っても「そんなことないよ、俺だったら親父に金をとられても、自分で働いて稼ぐよ」そんな簡単に稼げる金額ではないと具体的に説明しても「今は稼げなくても、そうなったら俺は稼ぐよ」
 という具合で、まさに「他人の痛みは我慢できる」という調子だったうえ、その後、その同級生は自分が結婚したとか子供が産まれたということは、大喜びで写真付きの年賀状を送ってきたりするから、頭にきて絶交したという体験談を聞いたことがある。

 ただ、これがもしも医療費のことがなかったら、そんな人とは知らずに普通に付き合い続けたはずだ。それで気づかないでいる人が多いのだろう。

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# by ruhiginoue | 2015-08-30 19:01 | 社会