井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue
 予定が入っていた日に雪が降って、しかし本格降りになって交通が混乱する前に帰宅したという話を昨日したが、その雪の夜にどこかで火災が発生したらしく、おそらく寒いのでストーブが原因ではないかと思われた。この対応に向かう消防車が二台連なって通るのを見たけれど、急いでいるのにゆっくりと走るしかない様子であった。

 そして次の日は晴れて雪が溶けているけれどまだタイヤチェーンの音がしていて、ちょうど八甲田山の日であった、という話の続きだった。

 さらに次の日も晴れて、ただ溶け残る雪が道の端にある。
 そしてこの日は八甲田山に続き雪の踏破ということで『闇の左手』を思い出す訃報があった。

 ところで、出かけた予定というのは投資の話であった。
 先日は新年会で出版関係者が集まっていたが、このときやはり投資の話がでた。本や雑誌の仕事で金が入ったらなるべく投機と言う人はよくいて、そういうことをしないで散財した挙句に困る人はバカということになるが、それ以前に無駄遣いも投機もできないほど資産が無い人がいて、そういう人たちが忘年会や新年会から姿を消している。

 そしてナントカコインを持っているという仕事上の知人の話は面白かったが、その一方で投資のための口座についても課題となっていた。なぜならNISA口座についてこれからは「マイナンバー」が必要となるからだ。

 この番号について、地方自治体が企業へ送る従業員の個人住民税額通知書にマイナンバー制度の個人番号の記載を定めていた規則を政府が改正したと判明し、2018年度から番号記載が不要になるそうだ。なぜなら誤送付による情報漏えいが相次いだほか、通知書を管理する企業側の事務負担が重く、経済界や自治体が不記載とするべきだと訴えていたからだ。
 

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 だから、前から危惧されていたことが現実に具体化しているわけで、危険なのでこの番号を使用してはいけないという呼びかけがされていたけれど、もう本格的にまずいということだ。
 しかしマイナンバーはNISAで新たに取引するにはすでに必要となってしまっている。それなら、非課税より危険の回避が優先ということになる。
 それに、もともとNISAとは少額投資非課税口座である。影響は乏しいし、いずれ無くなるとみられる。ちょうど、かつてあったマル優(少額貯蓄非課税制度)のように。かつては口座を大量に作って預金を分散させて税金逃れしていた人もいたが、これも無意味になってマル優そのものが廃止された。
 これを最近の若い人は知らないかもしれないと思ったが、銀行に勤務している人は自分で使用したり見たりしたことがなくても、制度自体はちゃんと知っていたから、それはさすがと感じた。

 それはともかく、ありがたくもないもののためにマイナンバー出すことないとだけは言えるだろう。




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# by ruhiginoue | 2018-01-24 15:45 | 経済 | Comments(3)

八甲田山の日

 昨日は前から予定が入っていて、出かける時間になったら雪が降ってきて、ついてないかと思ったが、帰宅してから本格的な降りようで交通も混乱したから、ついていたのだった。

 雪といえば、かつて秋田県の親戚の家に行ったとき地元のテレビで『復活の日』を放送していて親戚と一緒に観たら、南極基地に外から帰ってきた隊員の服から雪が軽々しく落ちるから従妹が変だと言って笑った。『南極物語』などの前、日本映画初の南極ロケを売りにしていたがセットで撮影した場面もあることを日本海側で生活している人は見抜いたのだった。
 この1980年公開の映画『復活の日』といえば、南極ロケ隊の船が座礁したことが報じられ、これを逆手にとって宣伝に利用したので、さすが角川と言われていた。

 そして翌日は雪が止んで晴れ、雪が解けて雫の落ちる音と雪かきの音があちこちから聞こえてきたが、この日は「八甲田山の日」である。
 1902年1月23日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難した事件があった。
 この事件をもとに映画『八甲田山』が製作され、77年に公開となった。製作は創価学会系のシナノ企画であったが、その前の『人間革命』のような宣伝ではなかった。遭難した司令官が雪の中で「天は我々を見放した」と言う場面がテレビの宣伝に使われて、当時はちょっとした流行語になった。よくパロディにされていて、デビュー当時だった小林よしのりも漫画の中でやっていた。

 この遭難事件は、そもそも冬の八甲田山では冬の重装備が必要だったのに指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始し、猛吹雪の中で道を見失い寒さと飢えと疲労のために遭難してしまい、25日になって199名の死亡が確認されたということだ。
 これと同じころ、別の連隊38名は同じルートを逆から踏破に成功していて、なぜなら装備と訓練をきちんとして十分な準備のうえでのことだったからだ。

 この点、映画の描き方は弱かった。また、別の部隊のどちらなのかが見ていてよくわからない。このような問題について黒澤明監督は、見て瞬時に判別できないものは動く方向の基本を決めて統一させておかなければならないと指摘していたが、この映画の監督は黒澤明監督の助監督をつとめていた人なので、なのにどうしちゃったのかと思ったものだ。

 そして、これは一昨年ここで述べた(ツイッターでは動画も)が、八甲田山に行ったら施設に映画のロケ隊の写真が飾られていて、頂上まで行ったら霧が出てきて視界が一メートルもなくなってしまい、ここで道に迷ったら、まず八甲田山で遭難なんてシャレにならないし、天に見放されたのではなくただのバカだから、予定を変更して下山したということだった。

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# by ruhiginoue | 2018-01-23 19:23 | 映画 | Comments(7)
 このあいだ、テレビで大和総研チーフエコノミストの熊谷亮丸という人が「中国は所詮は社会主義の国ですから」と言って中国がどんなに伸長しても日本がまだ大丈夫という、かなりお粗末な話をしていたということで話題になっていた。

 だいたい、このような紋切り型は三十年前の決まり文句で、こんなことでは最近の中国の発展を解読できないし、それでもまだ日本が大丈夫だと、ろくに分析もなく言われて本気で信じられる人がいたとしたら、認識が三十年前のままということではないか。

 ただ、他にも三菱総研とか野村総研とかいろいろあるけど、どこもナントカ総研ってとこから出てきてナンチャラいう連中って昔から偉そうにしていて、それにしては大したことがないものだ。

 それで、前から感じてきたことなので、よく銀行や証券会社で投機部門の仕事をしている人に訊いてみたのだが、その答えによるとナントカ総研というところにいる人はこの業者の中ではエリートというか頭のイイ人たちの行くところだそうで、だから威張った感じがするわけだ。
 このような人たちの嵌っている枠組みのため、威張っている感じを醸し出していて、しかし枠組みそれ自体が大したことないものなので、その限界から、それにしてはこの程度だから、見ていて「なーんだ」という印象を与えるのだろう。

 しかし、けっこういい給料をもらっているらしいから、それで勘違いして自信たっぷりの態度になるし、そこからネトウヨ並みの発言となるのだろう。
 そして、まだネトウヨなんて言葉もインターネットも無い少年時代に読んだ三菱総研編の世界情勢の分析と称した本に「これが経済を予想する専門集団の認識か」と呆れた記憶を久しぶりに思い出した。もっとも陳腐な認識を、もっともシリアスなものだと思い込んでいるように語っていたからだ。

 ただ、これで給料をもらってただ飯食っているのでもないから、他に存在意義があるのだろう。それについては色々と想像しているので、いずれ検証の結論を自分なりに出して公にしたいと考えている。



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# by ruhiginoue | 2018-01-22 17:14 | 経済 | Comments(1)
 親などから虐待を受けた人が、その体験を語ったり相談したりすると、泣いて訴えていようとお構いなしに、親は子供のためを思ってやっているはずだとか言う者がいる。
 これは、頭ごなしに否定しようと、やさしく説き伏せようと、どんな言い方であれ、子供を虐待して躾のつもりだと言う親を正当化するものであり、加害者を擁護して被害者を責めていることに変わりはなく、セカンドレイプの一種である。

 ただ、自分もつらい体験をしたとかの話をつい言ってしまったなどで、そんなつもりではなかったのに相手を傷つけてしまったと後悔することもある。
 だから、とても難しいことである。

 しかし、故意に相手を傷つけてやろうとする悪意が明らかの場合もある。
 なにか虐待の話をするにしても、第三者を装い他人事として「助けてあげたい」と相談すれば、良い助言が出てこないとしても、加害者を擁護し被害者を責める人は少ないものだ。
 ところが、自分の事だと告白して伝えると、セカンドレイプ的発言する人が目立つのだ。つまり、弱みを見せると途端にそれを突いて攻撃するわけだ。だいたいそんな人は、自らも抑圧されているというのが相場である。

 また、前にここで人権運動に名を借りた極左老人たちの人権侵害という問題を述べたが、この醜い異常な言動をする者たちに同調して嫌がらせをした人がいて、その人は重度の障害者だった。
 この男性は、脳が原因で全身と言語に障害があり、軽度だが知的障害もあるらしかった。「人権擁護運動」の集会に熱心な参加をしながら、そこで不自由な動きで熱心に付きまといをしながら嫌らしい嘲りの言葉を不自由な発音で絞り出すという行為を繰り返していたが、その攻撃対象とする相手とは、何か弱みを見た人ばかりであった。
 それまでは何もしないのに、障害を抱えて苦労している人だと気づいたとたんに嫌がらせ攻撃を始め、時には、今まで親切にしてくれた人に対して恩を仇で返すことをする。そのさいの目つきに表れる底意地の悪さは、見て気味が悪いのと憎たらしいのが混ざりあっていた。

 もともと、この人は言葉が不自由なので話を聞き取りにくいことがよくあり、それで何とか理解しようと慎重に聴いたけどどうしても発音のために判らないことのほうが多かった。
 すると彼は話すのをあきらめて必ず「いいや」と吐き捨てるように言うのが口ぐせであった。この「いいや」は、よくあるあきらめのさいの言葉とは違った卑屈さが口調と目つきに出ていたのだった。
 そして、なにも恨みがなく、それどころかいつも親切にしてくれている、という人に対して、その人も障害を抱えているとか何か不幸な目に遭ったとかいうことに気づくと、とたんに愉悦の表情になって嫌がらせをしはじめる。

 これについて、障害者の世話をしている人が、自分は大勢の障害者と接してきたけどそんな嫌な奴は見たことがないと言った。しかし、その人は自らに障害があるわけではないから、他人の障害に気づいた途端に嫌がらせを始める障害者には気づきにくいはずだ。

 こういうことがあるので、抑圧された弱者に同情してもいいけど、自分も弱者であると気づかれないようにしないと不愉快な思いをし、時には攻撃的すぎて危険だったりもするので、注意が必要である。
 これも、そもそもこの社会が弱者を抑圧する構造であることが原因だ。




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# by ruhiginoue | 2018-01-21 17:21 | 社会 | Comments(0)
 知り合いにレーニンという名の人がいて、発音に漢字を当てているそうだ。そして、よく「本名です」と自己紹介している。
 そのさい「ヨシフという人もいるよね」と言ったら、居合わせている人は笑う。
 このヨシフとは有田芳生という今は議員の人である。この人の父親がスターリンにあやかって名付けたらしい。ヨシオかと思っていた人も少なくないだろう。自分もその一人である。

 この人は先日、深刻な被害が世界的に問題となっている予防接種について、「感情的反発」ではなく「科学的検証」を主張した。それで、どう調べたりしたのかという話ではなく、業界の提灯持ちであることを指摘される人の話を鵜呑みにして受け売りし、自らは何も検証せず、当然にして事実誤認があった。
 この発言について、被害の問題に取り組む議員たちから批判や提言があったけれど、有田芳生議員は誠意ある対応をせず侮辱的な反発をした。だから、非難轟轟であった。

 この件では有田芳生議員の他にも同類がいて、やはりという人もいれば、意外だと驚かれる人もいる。
 これは要するに、もともと「感情的な大衆」を見下す性癖を持つ人たちが流されてしまったということであり、その点を見極めるリトマス試験紙的な反応の観察対象だ。

 そして、有田芳生議員が日本共産党員として勤務していた当時の同党系列出版社が、まさに薬害と同様に原発などでもこの調子で、この大衆を見下す態度のとばっちりで同党は市民の支持を大きく損なっていた。
 この問題について、同党の議員や長年の党員たちに話を聴いてみると、こんな方針ではないと否定する。しかし同社が発行する雑誌の中の一部には目立つことである。

 これについては、かつてチェルノブイリ原発事故とのからみで朝日新聞とその系列誌が取り上げ、これに様々な反響あった。詳しくは拙書『朝日新聞の逆襲』における原発報道の項目で述べているから、そちらを参照していただきたい。

 ところで問題は有田芳生議員である。
 そのさらに少し前に問題になったことだが、来日した外国の代表者をもてなす晩餐会を日本政府が催すと、全会一致で迎えるものだったのに、安倍内閣はトランプ大統領を迎えての晩餐会に野党の議員を招かなかったから野党側から反発があり、共産党の志位委員長も抗議していた。
 これに対してネトウヨ類が、共産党は反米のくせにと非難していた。そうではない。イスラム革命イランや北部朝鮮国のような対決姿勢ではなく、外交によって従属と軍事同盟の対米関係を改善するためには、野党外交が必要不可欠ということである。

 ところが、昔の党員でとっくに追放されている有田芳生議員は、今では別の党に所属しているのに、この外交を訴える志位委員長を批判し、なぜならそんなこと無用だからと言い、しかも有田芳生議員が党員だったころ共産党の代表だった人の名を出し、宮本顕治だったらそんなことしないとまで言ってのけた。

 つまり有田芳生議員は、単純に反米に凝り固まり絶縁とか没交渉でよいと言い放ち、昔の古い共産党員体質を今もまだ維持していることを露呈させた、ということである。
 こうなると、有田芳生議員がネット上などでわざと「ヨシフ」とカタカナ書きで皮肉られているのも、たんなるネトウヨ的な嫌がらせだけではなく、実質が伴っていると言わざるを得ない。


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# by ruhiginoue | 2018-01-20 13:25 | 政治 | Comments(3)
 仕事がらみの新年会があって、お誘いを有難く受けて出席させていただいた。
 このとき、親睦と同時に、ご無沙汰していた人から声をかけられて、その後に「いろいろあった」という話をされた。
 また、「お元気そう」と社交辞令で言われたかと思い、体調はひどく悪いと答えたのだが、そんなうふには見えないと大真面目に言われた。ただ、たしかに外見的には前よりやつれた感じがないだろう。表面だけ少し気を使っているだけなのだが。

 そのあと、二次会にも出た。終電が気になるという人達と一緒に早めに退席したが。
 このときカラオケしていた人たちがいたので、ではこちらもとDead Or AliveのBrand New Loverを歌ったのだが、美容外科の被害者で早死にしてしまったピートバーンズのことを話していたからであったのだけど、よくディスコのマハラジャなどで流れていたから懐かしいと言う人がいた。

 これについて、店でお酌している若い女性から、そんなことがあったのかとびっくりしたように言われた。ピートバーンズが美容外科の失敗を治療するため外国で手術し、その費用のために豪邸もヒット曲の版権も手放したという話だ。
 しかし、大ヒット曲を出したスターがセレブということ自体がピンとこないようでもあった。映画館に行かずテレビも観なければCDを買ったこともないと普通に言う。
 これが今の若い人たちにとって普通のことだ。スターの存在とはファンの不幸の反映だからスターが居なくなることは理想的という意味のことをデビッドボウイが言っていたが、それが現実になってきているのではないか。

 こうした若い人と話しているほうが精神的に健康である。世の中の実態と合っているからだ。
 さきほどは二次会には来なかった老人たちが酒を飲んで学生運動を懐かしむ話をしていたことに生理的に違和感を覚えていたが、それよりはまだずっと年下の人たちが「いやー『ブレードランナー』の続編は長いけどよくできているから必見だよ」とか話しているのにも同じ違和感を覚えるのである。
 だから、である。



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# by ruhiginoue | 2018-01-19 18:33 | 雑感 | Comments(1)

子供むけ金田一耕助

 相続の遺留分制度について、よく小説などには不可解な遺言から騒動になる話があるけれど、その対策という意義もある、ということで最初はあくまで法律問題だったが、そこで小説の一例しかも遺言をめぐって連続殺人事件に発展するという極端なものとして横溝正史の『犬神家の一族』に及び、遺産相続人となる女性が絶世の美女という設定だったので、それなのに、なんで映画化でその役が松嶋菜々子なのかと言う女性がいてテーマが逸脱してしまった、という件は前述したとおりである。

 この『犬神家の一族』の映画化では探偵・金田一耕助を石坂浩二が演じていて、この配役で前にも映画化されていたから、松嶋菜々子が出ているのはリメイクである。旧映画化では島田陽子が出演していて、こちらはまだわかると言う人がよくいる。

 こうした女優の評価はともかく、この役はヒロインであるから原作の小説では美女となっているわけで、もしも美女でなければ物語のテーマが変わってしまう。
 例えば舞台や映画の古典的作品『女相続人』は、地味な女性が恋に落ちた相手とはイケメンだが金は無く、彼女は一目惚れしたと言われて有頂天になるが、しかし財産目当てであると父親から反対され対立する。
 こうした話とは違うテーマということだ。

 また、金田一耕助が活躍するシリーズでは、金田一が主人公であると同時に、その物語における主人公がそれぞれいて、これは『犬神家の一族』の場合だと相続人となる女性である。だからヒロインということで美女と描かれているのだ。

 ところが、映像化されると事情が変わってしまう。もちろん金田一とヒロインが主人公だが、小説では大したことなかった印象が映像化されることで強烈になり、『犬神家の一族』といえば「佐清(すけきよ)」である。顔の負傷跡を隠すためにゴムマスクをかぶって無表情になっている姿が不気味なうえ、さらに殺害され遺体を湖に逆さまに投げ込まれ両足だけ突き出るように見えているあの場面はマンガなどでさんざんパロディになっている。
 ただし、というこの先はネタバレであるので言及不可である。
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 それで、あの『ロングバケーション』という人気ドラマでも、主人公が実家に帰らない事情について、田舎だから人目がうざいという意味のことを言うが、その田舎さが半端ではないという喩えに「スケキヨ」の実家のようだと言っていた。

 しかし、こうした地方社会のドロドロしたものを題材にしているものが有名である一方、江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」のように少年少女むけにアレンジされた金田一耕助シリーズもある。例えば江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだと『夜光人間』があるけど、横溝正史の少年少女むけ金田一耕助シリーズには『夜光仮面』があった。これは小学生の当時に読んだ記憶がある。

 ここでの金田一耕助は、やはりヒーローなので明智小五郎と同様に颯爽としていた。他にも映画でスーツ姿のダンディな金田一耕助を片岡千恵蔵が演じていて、いつも変装して潜入捜査しているから、彼の当たり役「多羅尾伴内」と同じということだが、それと同じで少年少女むけの金田一耕助は活劇調であった。クライマックスは謎解きではなくアクションである。
 これに慣れていたので、後に横溝正史が今でいう「再ブレイク」して続々と劇映画やテレビドラマが作られると、ずいぶん違ったものになっていて驚いたものだ。




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# by ruhiginoue | 2018-01-18 12:53 | 文学 | Comments(2)
 今は試験の時期だが、これで思い出すことの一つが自分の母親の常識外れである。
 これに近所の同級生の母親が最初は信じられず、そのあと本当だと知ると唖然としたのだった。

 よく、熱心あるいは心配性の親が、子供の入試に付いていくものだ。これが小学生ならともかく高校入試や大学入試にまで付き添う親がいて、子供が無用だと言っているのに同伴する親もいる。
 その近所の同級生の親も、そういう人だった。だから特に驚いたのだろう。

 うちの母親は、子供の入学試験のことなどすっかり忘れて当日は眠り呆けていて、子供が一人で出ていき朝飯も昼飯も抜きで試験を受けて帰ってくると「面白かったか」と尋ね、「なんで試験が面白かったかなんて訊くのか」と質問されると、「試験ってなによ。映画かなんか見に行ったんでしょう」と言った。
 こんな話を平然とするので、近所の同級生の親は信じられず、そして冗談で言っているのではないとわかると驚いて言葉を失ったというわけだ。

 この一方で、よくうちの母親は家族が寝ているのを叩き起こし「今日は早く出かけるんでしょう」と言い、まだ真っ暗だから時計を見たら午前三時、その日は睡眠不足で困ってしまう、ということがあった。
 これでは眠り呆けていてくれたほうが、はるかにましである。
 つまり、うちの母親はよく寝ぼけるのだ。子供のころにはよくあるけれど大人になるとだいたい治るもので、それが大人になっても治らないなら治療しないといけない場合もあるといわれている。
 しかし放置だったのは、その被害者はもっぱら子供だったからだろう。





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# by ruhiginoue | 2018-01-17 16:13 | 雑感 | Comments(0)
 冬休みが終わって宿題を学校で提出するとき困った思い出が、小学生の時にあった。今も忘れられない嫌な記憶である。
 それは、学校で担任の教師が指示したとおりに宿題をこなしていたのだが、それではダメだと両親が言い出したのだ。何がダメなのかというと、渡された書き取りの用紙に書き取りをして、日記をノートに書くようにと指示されたのでそのとおりに日記を書こうとしたのだが、書き取りの用紙に日記を書けと言われたのだ。
 それでは先生の指示と違うと言ったのだが、両親がそろって、この用紙には日記を書くに決まっていると言ってきかないのだ。なんと親が言おうと、宿題は教師が指示したとおりにしなければならないものだし、そのうえ、その用紙は分量がちょうど書き取りをしたらピッタリで、日記を書くには少なすぎる。日記は五日分と指定されていて、書き取り用紙では一日分を書くにも足りない。
 これは見て簡単に解ることだし、先生の指定したとおりにすると分量など適切である。これを説明したのに、両親が同盟軍になって集中攻撃で頑なに否定し、どうしても書き取り用紙に日記を書けと言う。そのうえ、書けないなら教えてやると言って、言われたとおりに書けと命令された。口から出まかせのいいかげんなことを言われたとおりに日記として書かされて、用紙が足りないので取り切れトンボである。
 そして書き取りは、仕方ないからノートに書いて、先生に叱られたら逆に書いてしまったと言い訳しようと思ったのだが、書き取りをしていたら両親からやめろと言われた。書き取りの宿題は何かの間違いだと言い張るのだ。

 これでは恥ずかしくて学校に持っていけないと始業式の日に困ってしまい、新年早々に新学期から足取りも重く登校した。
 すると、まったく同じだった人が十数人いて、その全員が、やはり同じように親から強引にやらされて、先生に言われたことや分量のことをいくら子供が説明しても親が頑として受付けず、間違ったやり方を強要されていて、中には違うと言ったために親から殴られ、泣きながら宿題を書いたという子もいたのだった。
 これについて担任の教師は、なんでちゃんと説明したのに、そのとおりにしないのかと言ったけれど、そうしたくても親に無理強いされてどうしようもなかったのだ。指示されたとおりにしなかった児童全員が、そうだった。

 これは、親が何か思い込んでしまい、それで子供がちゃんと説明しても頭ごなしに否定し、子供が間違っているに決まっているということで強制したのだろう。
 それにしても、子供の説明したとおりにするとしっくりくるのに、それをなぜ受け付けないのかということがまず疑問だし、間違ったとしても取り返しがつかないことではないのだから、子供が言うとおりにやらせてもいいはずだが、それをなぜ拒むのかと疑問である。
 これが、うちの親だけだったら、どうせうちの親はバカだからで片付けることができるけれど、他にも同じ親がいたということは、共通する難を抱えた親がそれなりの数いたということだろう。




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# by ruhiginoue | 2018-01-16 17:27 | 雑感 | Comments(1)

センター試験のムーミン

 センター試験の地理で、親しみやすくしようと思ったのかアニメの話をもち出して批判が起きている。
 これは、北欧についてテレビのアニメ映画『ムーミン』『ビッケ』『ニルス』の物語の舞台はフィンランドとノルウェーとスエーデンのどれか結びつけるようにする出題だった。
 しかし、アニメ作品を知らないと解けない問題では地理の問題として不適切という指摘があり、ただしバイキング姿の主人公とか言語の共通から推察できるという指摘もあり、しかし『ムーミン』はスエーデン系フィンランド人の作家によるものであり舞台のモデルは異なると言われていることから、これを知っているとむしろ混乱してしまうという指摘もある。

 さて、こうして議論となってしまったことについて、センターではどう対応するだろうか。
 これと同じように、次のような問題も出すことができる。

 横溝正史の小説および映画化で『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と、物語のモデルとなった土地は岡山と岡山と兵庫の境と長野のどれか結びつけよ。  

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 そんなの、小説や映画を知らなければ解らないとばかりも言えない。モデルになった実際の事件とか湖とかで推察できる。
 というように、今回のセンター試験の地理は良くない出題である。



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# by ruhiginoue | 2018-01-15 18:20 | 学術 | Comments(4)